〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

昨日の講座のこと

2020-08-30 10:34:41 | 日記
昨日の甲府での講座では、前置きが長過ぎて、肝心の『高瀬舟』の話がし足りなかったので、
ここで改めて、申し上げます。


この作品のお話は「いつの頃からであつたか。」から始まっています。
そしてお話は最末尾の一行「次第に更けて行く朧月夜に・・・」で終わります。
すなわち、その前、作品の冒頭の「高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である」以下は、
実は、このお話以前の部分、ナレーターはお話のナレーション以前のいわば、
注を付け加えるところからこの小説を始めています。
ここにこの作品の仕掛けが隠れていたのです。
実に『高瀬舟』は話以前から始めて、注釈的なことを挿入して、
いわゆる話の筋(ストーリー・プロット)の枠組みを相対化しています。
そして、その奥に喜助の内面の秘密を描き出し、小説の神髄を示さんとしている画期的な小説だったのです。

こうした読み方が必要と考えます。

この小説は、江戸時代の寛政の頃の話を物語の舞台としてナレーターは語りながら、
実は、その背後にある明治・大正の時代の現代の官僚機構を相対化し、
時代の枠組みを超えて生きる、隠れた人間の内面の姿、
官僚機構の「オオトリテェ」を超える問題を提起しているのです。

罪人喜助の内面は奉行の半年の長い取り調べでも、護送する同心の庄兵衛にも見えない、
喜助はそうした内面の秘密を官僚機構の外部にあって生きていた、のです。
それを奉行も同心の庄兵衛も全く知りません。もちろん想像もできません。
語り手はその罪人の隠れた内面の姿を語って、これをリスナーである読者に示しています。
時代を超えて生きる者の尊さ、これを語っているのです。

この小説は陸軍軍医総監医務局長、官僚機構のトップにあった森林太郎の最後の小説です。
『寒山拾得』とともに。置き土産として。


視点人物の庄兵衛は知足の喜びと安楽死のまなざしで、罪人喜助を捉えています。
一方、奉行は喜助が弟の苦しみを取り除こうとして、誤って弟殺し、心得違いとの判決を下しています。
両者は食い違っています。
下級役人の庄兵衛は遠島の刑が妥当かどうか、若干の疑問を感じています。
お話はその疑問を持ったまま、終わっています。
だから、視点人物のまなざしがナレーターのまなざしであるかの様に読む論文が多数存在します。
しかし、対象人物の喜助はその視点人物のまなざしの外部にいます。
それを語り手・ナレーターは直接話法で喜助に語らせることによって、
視点人物を相対化し、喜助の内側からも語ることになるのです。
この直接話法で対象人物に語らせるのは、
語り手が視点人物のまなざしの外部にある対象人物のまなざしを語るための手段なのです。
ここがポイントのひとつ。

もう一度言います。
多くの『高瀬舟』論は視点人物を実質的なナレーターかの如く捉えて、
その外部の喜助のまなざしを捉えずに、視点人物のまなざしを特権化しています。
これをナレーターのごとく理解します。
しかし、喜助は直接話法で、自身の生涯を語るのです。
喜助は当時の社会の組織の枠組みの外部、秩序外存在だったのです。
喜助は入牢という刑罰を逆に満足に思っているのです。
刑罰という制度は喜助には通用しないどころか、入牢とか遠島とかは、
そもそも、喜助にはありがたいこと、働くなくて、食べられるからです。
それまで、そんな楽な生活はしてきませんでした。

喜助兄弟は孤児、二人は一人になって、やっとギリギリ生きてきたのです。
弟は病気になり、兄は二人分働かなればならず、それは不可能、
もう二人とも餓死するしかないところに追い込まれていたのです。
そのため弟は自殺をしようとして、剃刀で喉笛を切ったが死にきれず、
剃刀が刺さったまま苦しんでいたところ、そこに兄喜助が戻ってきた。
弟は剃刀を抜いてくれるように訴え、そこで、剃刀を抜いたところ、
誤って喉笛を切ってしまい、殺してしまった。
その殺した手ごたえはあり、それによって、兄自身の内面は死ぬ、
すなわち、兄は弟を殺した時、自身の内面も殺してしまった、
その後の喜助の内面は弟と共に生きるのです。弟は死んで兄の中で生きるのです。

これが当時の官僚機構の枠組みを超えて生きてるということです。
喜助の豪光のさすような生の在り方は、弟を安楽死させて安心しているのではなく、
弟と共にいったん内面的に死に、体は生きている兄の心の中に弟が生きている姿をナレーターは語っています。
このお話をナレーターは語りながら、このナレーターを超える、小説の語り手が全体を構成しています。



あまんきみこさんのこと

2020-08-28 07:59:44 | 日記
前回の記事で、あまんきみこの『白いぼうし』論を書き上げましたと書きましたが、
案の定、また書き直していて、ブログ更新できませんでした。

昨日、あまんきみこの新刊、『あるひあるとき』を読みました。
なるほど、これがあまんきみこの童話か、唸る思いです。
『あるひあるとき』のちいさいユリちゃんはこけしのハッコちゃんの生まれ変わり、
二人は語り手の「わたし」の愛の現れ、生きる意味を概念や観念を、
いわば理屈ではなく教えてくれる、感じさせてくれる、そんな風に読みました。
『白いぼうし』や『おにたのぼうし』とその根底は通底しているな、
作者自身の「深く祈る思いで、この絵本を見送っています。」の思いが胸に応えます。
まさしく、言葉に祈りが込められていると感じさせるのです。
生を考えることと死を考えることは差がない、そのうえで生きる、
あまんさんはこの作品でもこう教えてくれているように感じます。
 
明日は甲府に参ります。
鷗外の『高瀬舟』を取り上げることになっていますから、今読んでいますが、
鷗外や漱石とあまんさんは通底しているなと改めて感じています。


以下の案内を担当の望月さんから、田中のブログに掲載してほしいとの連絡を受けていますので、
掲載します。

テーマ    『高瀬舟』を素材にして近代文学の神髄を読む
講師      田中 実(都留文科大学名誉教授)
日時      2020年8月29日(土)午後2時から午後3時
会場      山梨県立文学館
参加方法    会場での参加またはリモート参加
参加申込の締切 2020年8月28日(金)22時まで
参加費     会場参加の方は1000円
参加をご希望の方は、お名前、所属、参加方法を記入のうえ、
下記のアドレスに申し込んでください。
申し込まれた方には担当の望月が折り返し返信します。
dai3kou.bungaku.kyouiku@gmail.com  

主催   朴(ほうのき)の会


あまんきみこ『白いぼうし』について

2020-08-23 09:14:08 | 日記
昨日、あまんきみこの童話『白いぼうし』についての論文を書き上げました。
先日、たまたま、朝日新聞朝刊に、あまんさんのインタビュー記事が掲載されていました。
あまんさんは旧満州に生まれ、15歳で日本に引き揚げたそうです。
この度、その体験をもとに新たに絵本が出版されたそうです。
(その本はまだ見ていませんが、注文したので27日に手元に届く予定です。)
インタビューの中で、あまんさんは「戦争の根本は「相手に殺される前に殺す」ということ」
と語っていて、示唆的です。

あまんさんとは私が都留文科大に勤めていた時、講演に来ていただき、
とても楽しくおしゃべりをさせていただいたことを懐かしく思い出します。
その御縁で、あまんさんは娘に本を送って下さり、驚いたことがあります。

8月29日に、甲府で講演をします。テーマは主催者が決めた作品森鷗外の『高瀬舟』ですが、
あまんさんのこともお話しますね。

以下の案内を担当の望月さんから、田中のブログに掲載してほしいとの連絡を受けましたので、
掲載します。

テーマ    『高瀬舟』を素材にして近代文学の神髄を読む
講師      田中 実(都留文科大学名誉教授)
日時      2020年8月29日(土)午後2時から午後3時
会場      山梨県立文学館
参加方法    会場での参加またはリモート参加
参加申込の締切 2020年8月28日(金)22時まで
参加費     会場参加の方は1000円
参加をご希望の方は、お名前、所属、参加方法を記入のうえ、
下記のアドレスに申し込んでください。
申し込まれた方には担当の望月が折り返し返信します。
dai3kou.bungaku.kyouiku@gmail.com  

主催   朴(ほうのき)の会



ブログ再開と文学講座のご案内

2020-08-21 22:27:44 | 日記
3月にブログを再開しますと書きましたが、また長く休んでしまいました。
この間、当ブログをご訪問下さった皆様には、申し訳なく思っております。
今度こそ、本当に再開、のつもりです。

近況をご報告します。
3月2日の記事で『猫を棄てる』論のことを書きましたが、
これは中国語訳が中国社会科学院外国語文学研究所発行の雑誌『世界文学』第390号に掲載されました。
日本語での発表は、来年3月刊行の『都留文科大学大学院紀要』第25集に掲載予定です。

3月以降、四本の論文を書き上げました。
一本目は、中国の西安交通大学教授の霍士富先生から依頼を受けた、
霍先生の御著書の序文「宿命の創造―〈近代小説〉の神髄を読むための〈第三項〉論―」。
二本目は、宮沢賢治の『注文の多い料理店』について論じた「〈語り〉のパラドックス―『注文の多い料理店』私考―」。
三本目は魯迅の『故郷』について論じた「魯迅『故郷』の秘鑰—「鉄の部屋」の鍵は内にあって扉は外から開く—」。
そして四本目は、あまんきみこの『白いぼうし』について論じた
「『白いぼうし』の〈語り〉の仕組み ―傀儡師(かいらいし)の操(あやつ)る糸は見えない―」です。

『注文の多い料理店』と『白いぼうし』論は、明治図書から刊行される
『第三項理論が拓く文学研究//文学教育 小学校編』に掲載予定です。
『故郷』論は中国語に翻訳されたものを、中国の雑誌に投稿中です。

以下の案内を担当の望月さんから、田中のブログに掲載してほしいとの連絡を受けましたので、
掲載します。

テーマ    『高瀬舟』を素材にして近代文学の神髄を読む
講師      田中 実(都留文科大学名誉教授)
日時      2020年8月29日(土)午後2時から午後3時
会場      山梨県立文学館
参加方法    会場での参加またはリモート参加
参加申込の締切 2020年8月28日(金)22時まで
参加費     会場参加の方は1000円
参加をご希望の方は、お名前、所属、参加方法を記入のうえ、
下記のアドレスに申し込んでください。
申し込まれた方には担当の望月が折り返し返信します。
dai3kou.bungaku.kyouiku@gmail.com  

主催   朴(ほうのき)の会