必ず死にます。読者も私も必ず経験する事です
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・死後の行き先1~3 2009-09-07 伊勢ー白山道 記事全文
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20090907
人間の死後、魂が自分自身で行き先を決める期間は、だいたい49日間あります。これは世界共通だと感じます。
今の現世から次の世へ移動する中間の49日間を「バルドォ」と私は呼んでいます。チベット密教でも死後の49日間は、有名な「死者の書」と称される、死者の為の経典により詳しく説明されています。
しかし私の死後記憶では、この内容は少し古くなり、現代では実相が変化しています。
私の記憶と現代での霊視を合わせて、簡単に説明してみたいと思います。
人間は、必ず死にます。読者も私も必ず経験する事です。
今の借りている肉体を脱いで、「死後の肉体と同じ形の霊体」と「死後の意識のままの状態」のまま、49日間だけ現実界に留まる事が可能な聖なる期間です。1つの人生に付き1回限りの貴重な期間です。
この期間に、肉体の残存感覚を消し去り、霊体による移動を習得します。死後の日数が経つに連れて、肉体の感覚が消えるに伴ない増して来るのが意識の感覚です。
段々と意識が明瞭に成り、今生での全ての出来事を細部まで思い出します。人生で感じた心の喜びや悲しみも、日々段々と増幅されて繰り返し思い出します。最終的には、今の私たちの10倍ぐらいの強さに思いが拡大すると考えて下さい。
問題はこの時に、生きている時に自分を誤魔化して忘れていた自分の良心に反する行動や、「他人に与えた苦しみ」を自分自身が感じ始めるのです。自分自身の良心=内在神が、今生の全てを見て知っています。自分が知らずに与えた他人への苦痛も、この時に視覚も伴なって見る事に成ります。
ただ、自分が認識していたのか、知らなかったのかでは、罪の意識は異なります。自分が認識していた事は、より大きく拡大されて感じる事に成ります。
全ては、自分自身の良心が裁きます。他人が裁き決めるのでは無いのです。
「あなたは、この時に体験する心の痛みに耐えられるのか?」
「耐えられる生き方を今、しているのか?」
と言う事が問題です。この時に、他人に与えた喜びや、家族から感謝された気持ちも、同じく拡大されて死後の自分の意識に干渉して来ます。
そして、「苦しみの思い」と「喜びの思い」が相殺されて残った思いが、49日後の行き先を自らに
選択させます。 ・・・続く。
死後の行き先 2 2009-09-08 伊勢ー白山 道 記事全文
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20090908
人間が死ぬ時の状況は、人それぞれ違います。
最後の息を引き取る0.1秒の間に、壮大なドラマが展開しています。
私たちが現実界に生まれる時、母親と言う自分にとっての最初の先祖の一人から生まれました。
死ぬ時も、やはり今回の繋がりのある先祖が関与して来ます。
現実界と異世界を結ぶ架け橋には、先祖が関与するのです。
これは、「遺伝子の流れ」と言う肉体を持つ為には嫌でも繋がりを持たなければならない宿命で結ばれているからです。
死ぬ瞬間には、先祖霊が発光する球体となり意識の中でリアルに現れます。発光体が微かに記憶する先祖の一人に変化して見える人、会った事は無いのに明らかに先祖だと分かる人、発光体のままで人型には見えない人・・・いろいろなパターンがあります。
生前にたくさんの先祖霊を癒した人が死ぬ時は、たくさんの先祖霊が集団で迎えに来ます。
私たちは、先祖供養を先祖全体に対して線香3本していますが、その供養の行き先を采配しているのは、供養者に一番縁ある先祖霊の中で最も安心している先祖霊です。
その先祖霊を中心として供養で助けられた先祖霊たちや縁ある霊が、自分が死ぬ瞬間に迎えに来ます。浄土教の阿弥陀如来の御迎えの図も、決して嘘ではありません。ただ、あのような仏像の姿はしていません。
光の固まりか、形象を持ったとしても先祖の人姿です。これは人類共通の事です。
先祖霊のお迎えを受けた人の死に顔は、安らかな顔をしています。例え事故などで惨死しても、
0.1秒の間に救われて安心した死に顔に成ります。それから、魂の死後の行き先を決めるバルドォの49日間を過ごす為に、現実界に重なる空間へと移動します。
普通の人生を送れば、無信仰であっても必ず先祖霊の最低1名は、遺伝子の繋がり故に迎えに来るものです。
しかし、少ない先祖霊の迎えでは、発光する光の量が少ないので、魂が肉体を離れる時に痛みを感じるかも知れません。
たくさんの集団で先祖霊が迎えに来た時の黄金色の発光は、凄いものです。この光に包まれた時は、大安心の心境に成り、何も恐怖を感じません。肉体から魂が乖離するのも無痛のままスムーズに進みます。
問題は、自分の生前の行いにより先祖が迎えに来ても、先祖の光を認識できない場合があります。この場合は、死んだ場所に魂が留まるものです。無理に肉体から魂が離れる為に、死んだ時の苦痛のまま死後も場所に留まります。死後は、自分の意識が好きな場所に移動出来たのが、時間経過と共に段々と移動出来なく成り、限定された現実界の場所に縛られる状態に成ります。その魂の移動手段は、生きる人に憑依するしかありません。
また、教団などに関り、たくさんの困る人々から金銭を搾取し、家庭の時間を潰させ、子供たちの運命をも変えさせた人々や悪徳霊能者は、死ぬ時に教団維持霊や便利を得た背後の魔物からの御迎えを受けます。この魂には、バルドォの49日間も与えられない様です。 ・・・続く。
死後の行き先 3 2009-09-09 伊勢ー白山 道 記事全文
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20090909
人生を終えた魂は、バルドォの49日間に今生で自分が行なった事の反射の刺激を受けると考えておいた方が良いです。死を挟んで反転反射するのです。
他人を苦しめた魂は、自分が与えた同じ苦しみを死後に体験します。生きている間に、自分が他人にした嫌な事の反射を受けておいた方がまだマシです。死後は肉体が無い分、反射が強く成る法則があるのです。
「自分が生存中に、自分がした事への謝罪や反省、改善の努力をしたかどうか?」
これらをしておれば、死後の反射具合の控除も法則の中にあります。要は人間死ねばお仕舞の様な逃げ徳は、絶対にありません。現実界でも昼と夜が半分ずつ在るように、死後の世界も今生と同じ様に「継続する」のです。
今生で他人に掛けた愛情も、死後に自身に反射します。
供養が届くかどうか?不安な中でも先祖供養ができるのは、先祖への感謝と愛情が有るからこそ出来るのです。絶対に届くと保証された事を行なうのは、ただの義務労働に過ぎません。働く=給与を貰う、みたいな感じです。
そんな事は無駄とされる事を実践できるのは、本当の気持ちの現れです。この気持ちが先祖霊に届きます。死んだらお仕舞いと思いながらでも、この世で見返りを期待しない善行を行なえる人は、立派な人です。
この世の最後を独身で終えても、生前に多くの先祖霊を癒した人は、死後に癒し救われます。
この世の行動には、一切の無駄がなく反射する事を肝に銘じておけば良いです。たった80年ほどの人生は、すべての詳細が空間に磁気記録されています。この事を認識するだけでも、今からの生き方が変わるでしょう。
バルドォの49日間に、今回の人生での反射の刺激を受けた魂は、自ら霊界か地獄へと引き寄せられる様に進んで行きます。
10倍の反射刺激にさらされると、逃げよう隠そう言い訳しよう・・・などの感情は吹き飛ばされます。
何故なら、すべての魂は根源存在1つの分霊であるので、本性は絶対的に善なるモノだからです。
自らの良心に逆らえる人は、最終的には誰もいません。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
「チベット死者の書」とは、人が死んだ時から四十九日間(中陰)にわたって、
・ 良い天国へ故人が進むには、どうすれば良いのか?
・ 見える光景のどの方向に、故人が進めば、より良い世界に行けるのか?
これを大昔の悟った僧侶(生きながらアノ世と行き来が出来た御方)が、詳細に文書で残しています。
死後に見える光景を、死者の耳元で話して読み上げるために書かれた書です。
人間の感覚器官の中で、初期に形成される耳の神経は、死後にも数日間は機能し続けており、死後の身体の中で働いている意識に大きな影響を果たしているという認識を、古代チベット人は古くから持っていました。
耳に関しては、初期の霊能が「霊聴」から始まることと一致します。
また、生前に聴力が無かった人も、死の瞬間から聴力が戻っています。この世の因果の束縛から離れるために、元に戻ります。
私達は、いかに過去生の因果の束縛により、この世のシミュレーション世界(仮想現実の世界)に因果として拘束されているかを意味します。
今日の言いたいことは、今朝の神示で、霊界側から公開しても良い情報が有りました。
これ1つだけを知って居れば、死後に天国に進める方法が有るのです。
逆に言えば、これは、これからいかに災害に注意になるかも暗示しています。
これは他人や家族にも言わないで良いです。
これを読んだ人だけが、知って置いてください。それが個人が持つ「縁」(えん)です。
とにかく、自分が死んだと気が付いた時には、
・ 最初に見えた光の方向へ、光のカタマリの方へ、
・ 何の疑いもせずに、不安に成らずに、躊躇せずに「は〜〜い!」と子供に戻った気分で、楽しい気分ランランで、そこへ急いで進んでください。
疑うことを知らない、アホウに成りましょう。
・ これが死後の最初に1回だけ有る、最終電車であり、最終バスであり、最終の船の、天国からのお迎えです。
・ 善行が有る人は、この最初の光を見た時に、知る故人も光の中で姿を見せて手招きしてくれます。
・ 悪行が多かった人は、この最初の光を、どうしても怪しいと思って「信じること」が出来ないのです。そこには、知る故人もいません。
むしろ、「光のほうへ行くな」という昔の悪友が見えるかも知れません。
この最初の光に乗れなかった人に対して、「チベット死者の書」は、様々な行っては生けない見える世界について細かく説明しています。
でも、その内容は既に古く、今は変わっています。
大切なことは、どんな悪行が多かった人も、最初に見えた「光」に向かって欲しいのです。
・ 最初に見た光を素直に信じた御蔭で、死後に救われます。
・ 最初で最後の光のお迎え期間は、死後7日間「以内」で終了です。(49日間では無い)
実は、浄土宗系の宗教は、「光のお迎え」を絵で残しています。
(https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E8%81%96%E8%A1%86%E6%9D%A5%E8%BF%8E%E5%9B%B3&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8)
これは正しかったのです。これだけでも、浄土宗系の意味は有りました。
以上のことは、釈尊の言葉からも正しさが分かります。
釈尊が言いたかった仏教を一言で言えば、
・ 何事にも「執着するな!」でした。
つまり、執着が無い人ほど、最初の光に向かって素直に進める訳です。
執着が有れば、「ちょっと待てよ」と必ず迷います。
愛する故人の臨終の時には、耳元で、
「最初に見える光に付いて行くんだよ!」
と言ってください。
死後も、焼く直前まで、何度も言ってあげて頂ければと思います。
以上が、皆様の参考に成れば幸いです。
更に、死後の世界的な検証の話を知りたい御方は、
「生と死後」の真実 Life&Death
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もし書店で注文する際は、
「(株)観世音の本は、鍬谷(くわたに)書店という取次
会社の扱いになります」
と言って頼んで頂ければと思います。宜しくお願い致します。
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生かして頂いて 有り難う御座います
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