マクドナルド凋落の元凶がついにわかった
プレジデントオンライン
2015年7月31日 10時15分 (2015年8月1日 09時31分 更新)
■赤字の原因は「期限切れ鶏肉」だけではない
2015年2月に発表された日本マクドナルドホールディングスの
14年12月期連結決算は、全店売上高が前年比12%減の4,463億円、
最終損益は218億円の赤字だった。
同社の営業赤字は41年ぶりで、01年の上場以降では初となる。
同社では赤字転落の原因を
「消費期限切れ鶏肉使用問題の影響」としているが、
それだけが原因ではないことは明らかだ。
前13年12月期決算でも営業利益は前年比54%減の115億円、
売上高は12%減の2,604億円で、
この時点ですでに2年連続の減収減益だった。
3期連続減収減益、上場以来初の赤字転落という
極度の不振に陥った根本の原因は、
辞任した原田泳幸前社長(現ベネッセホールディングス会長兼社長)時代にある。
日本マクドナルドは1971年、
米国マクドナルドよりフランチャイズ権を獲得した
藤田田により設立された。以後、
急成長を続け、82年には全店売上高703億円で
外食産業トップとなっている。
藤田時代の経営の成功要因は、
要約すれば「時代の趨勢」である。
高度成長の最中であり、人々は
米国文化に憧れていた。しかし藤田は、
米国で成功した手法をそのままコピーするのではなく、
日本の事情に合わせてローカライズした。
たとえば1号店出店では、郊外での出店を指示するアメリカ本社の意向に同意せず、
流行の発信地である銀座を選んだ。
それによりハンバーガーという日常食を、
プレミアム商品として位置づけることに成功した。
チェーン経営においても、フランチャイズ店中心の米国とは
路線を違え、直営店中心のレギュラーチェーンを展開した。
ハンバーガー大学を設立して人材を育て、
子飼いの社員たちをチェーン店の店長に据え、
家族的な経営を行った。95年に初の減益を経験すると、
価格を下げ、地方や小都市にまで
店舗を展開するペネトレーション戦略に変更。
売上高を倍増させ、01年にはJASDACへの上場を果たす。
03年に藤田が社長を辞任すると、
日本マクドナルドは売上高、経常利益ともに
大幅なマイナスに陥る。04年、
業績悪化を受けて、アップルコンピューター出身の
原田が新たなCEOに就任した。
原田が行ったことを一言で言えば、
マクドナルド米国本社の意を受けて、
藤田が「日本化」した日本マクドナルドを
米国標準に戻すことだった。
00~03年にかけて収益力が悪化した米国マクドナルドでは、
「Plan To Win」と題する経営の刷新を行っていた。…
図:データでみるマックの業績
多くの店舗をリニューアルし、24時間営業を開始。
また店内に新しい調理機器を導入、
それまで作り置きしていたハンバーガーやポテトを、
オーダーを受けてから作る、
「メイド・フォー・ユー」と呼ぶ形に変えた。
さらに「メガマック」「プレミアムローストコーヒー」などの新商品を開発投入し、
業績回復に成功する。原田が行ったのは、
米国で成功を収めたこれらの戦略を日本に導入することだった。
それまで導入が進んでいなかったメイド・フォー・ユーは、
1年で一気に全店舗に導入するよう指示。
「メガマック」「プレミアムローストコーヒー」、
さらに日本独自開発の「えびフィレオ」などの新商品を投入。
低価格戦略によって「チープ」という固定観念が定着していた
マクドナルドのイメージを一新することに成功。
24時間営業や地域別価格の導入で利益率も改善された。
もともとの企業理念であるQSC
(クオリティ、サービス、クレンリネス=清潔さ)の向上を
徹底させる一連の施策により、
日本マクドナルドは一時の不振を払拭し、
売上高は大きく伸びた。
それにより店舗も活況を呈したが、
その割に利益率は上がってこなかった。
これを問題視した米国本社では、07年、
シニアディレクターのデイブ・ホフマンを
日本マクドナルドのFCシステム運営責任者として日本に派遣する。
ホフマンが行ったのは、
日本マクドナルドの直営店のフランチャイジーへの売却だった。
直営店をフランチャイジーに売却すれば、
1店あたり数千万円のキャッシュが得られる。
このキャッシュは会計上、
フランチャイズ店からの収入として計上される。
08年に始まる3年間で2千数百の直営店が売却され、
07年の直営店の割合71%が、
12年には34%まで下がった。この間、
日本マクドナルドには年間35億円ほどの売却益がもたらされた。
店舗売却と同時に、それまで
日本マクドナルドの社員だった店長や本部の経営幹部が
フランチャイジーに移籍させられていった。
07年に4,997人だった日本マクドナルドの従業員数は、
13年には2,764人まで減っている。
キャッシュが入り、移籍した社員の人件費が削減され、
さらに資産を売却した分だけ資産が圧縮されて、
日本マクドナルドの総資産利益率や
自己資本利益率は向上。11年には最高益を更新している。
■「トイレが汚かった」「店員に笑顔がなかった」等の指摘
しかしリストラや店の売却による利益嵩上げは、
いつまでも続けられるものではない。…
日本マクドナルドでは09年、直営店売却に続いて、
全店舗の11%にあたる413店を一斉に閉店している。
これによってさらに総資産が圧縮され、
また閉鎖された店舗の顧客が近隣のマクドナルドへ流れて、
既存店の1店あたり売上高も向上した。
しかし、既存店の1割以上を閉店したにもかかわらず、
実際の既存店の売上高の向上はわずか1%程度にとどまったのだ。
私がマクドナルドの異変に気がついたのは、
12年、経産省の支援の下で、自らが
調査システムを設計したJCSI(日本版顧客満足度指数)調査において、
マクドナルドの順位が急低下しているのを知ってからだった。
それまで、ロイヤルホストやデニーズ、
吉野家などより上だったマクドナルドの顧客満足度(CS)が、
その年、これらすべてのチェーンに一気に抜かれてしまったのだ。
この調査では「トイレが汚かった」「店員に笑顔がなかった」
といった指摘が多く見られた。
過去1年間の印象を聞いているので、
12年調査のCS低下は、11年にマクドナルドで
何らかの問題が起きたことを示唆している。
これだけCSが落ちているのに、表向きの業績は絶好調。
これはどう考えてもおかしい。
「何か隠された裏事情があるのでは?」と改めて
財務諸表を精査してみた。その結果、
ここまで述べてきたような問題が浮かび上がったのである。
原田が社長に就任した04年に6億人台だった来店客数は、
4年後の08年には9億人を突破。その一方、
作り置きをなくしたことも手伝って、スタッフへの負荷が大きくなりすぎ、
店内の掃除をしたり、笑顔をつくる余裕すらなくなっていたのだ。
安くておいしいコーヒーを出し、24時間営業を行ったことで
マクドナルドの客数は増えたが、一方で店舗が喫茶店化し、
昼間にノートパソコンを抱えたビジネスマンが仕事したり、
深夜に男性客がたむろするようになった。
その結果、ファミリーや女性客の足が遠のいてしまった。
来客数が増え短期的な売り上げは伸びたが、客単価は減少し、
さらに低価格のコーヒーを提供し始めたセブン-イレブンなどの
コンビニエンスチェーンと競合するようになった。
■えびフィレオ以来、独自の商品開発はほぼ行われていない
原田体制の問題点は、短期の利益志向が強すぎたことだ。
創業経営者だった藤田と異なり、プロの経営者である原田は、
常に米国本社を向いて仕事をしていた。
藤田社長時代の末期に2.5%だった米国本社へのロイヤリティは、
原田時代に3%に引き上げられた。…
図:原田氏の3つの改革
コスト削減のため藤田が育てたベテラン管理職を
社外に放出したことで、開発力も衰えた。
原田時代の新商品は海外からの導入ばかりで、
05年の「えびフィレオ」以来、
日本独自の商品開発はほぼ行われていない。
藤田時代には温情主義で、契約が切られることは
ほとんどなかったフランチャイズ店との関係も変わり、
外形的基準により一方的にフランチャイズ契約が打ち切られるケースが相次ぎ、
訴訟に発展した例も出た。
現場では客の回転数を上げ効率性が追求された結果、
スタッフの負担が過大となり、
笑顏が失われ店内の清掃も行き届かなくなって、
客離れに至った。原田体制の後半、
日本マクドナルドは求心力を失い、
人的資源は大きく劣化してしまったように見える。
最悪の状況で経営を引き継ぐことになった現CEOのサラ・カサノバは、
原田体制の被害者といえる。しかし、
復活の芽はある。
日本マクドナルドには、かつて藤田が育てた人材が社内外に残っている。
原田の辞任とともに、これまで一大勢力をつくっていた
コンサルティング系メンバーが減り、
原田時代に放逐された元社員たちが本社に戻りつつある。
現在、マクドナルドでは野菜を多く使った「ベジタブルチキンバーガー」など、
健康志向の新商品を開発・投入している。
これは離れてしまった顧客、なかでも女性と
ファミリーを呼び戻す狙いがはっきりした戦略だ。
また地域別の事業制を採用し、各地で現地の好みに合わせた
ローカル商品の開発も始めており、米国流の全国一律の
マス・マーケティングから距離を置き始めている。
これらはブランドイメージの再構築が必要な
現在の日本マクドナルドに適した戦略といえる。
赤字に転落した今も、マクドナルドには多くの熱烈なファンがいる。
衰えたりといえども、3カ月で日本の全消費者の3分の1が訪れる、
日本最大の外食チェーンである。
同社が現在進めている「日本化」改革をやり抜けば、
必ず顧客からの支持を取り戻せると私は見ている。
(文中敬称略)
法政大学経営大学院イノベーションマネジメント研究科教授 小川孔輔
構成=久保田正志 図版作成=大橋昭一 撮影=宇佐見利明
http://www.excite.co.jp/News/economy_clm/20150731/President_15780.html
プレジデントオンライン
2015年7月31日 10時15分 (2015年8月1日 09時31分 更新)
■赤字の原因は「期限切れ鶏肉」だけではない
2015年2月に発表された日本マクドナルドホールディングスの
14年12月期連結決算は、全店売上高が前年比12%減の4,463億円、
最終損益は218億円の赤字だった。
同社の営業赤字は41年ぶりで、01年の上場以降では初となる。
同社では赤字転落の原因を
「消費期限切れ鶏肉使用問題の影響」としているが、
それだけが原因ではないことは明らかだ。
前13年12月期決算でも営業利益は前年比54%減の115億円、
売上高は12%減の2,604億円で、
この時点ですでに2年連続の減収減益だった。
3期連続減収減益、上場以来初の赤字転落という
極度の不振に陥った根本の原因は、
辞任した原田泳幸前社長(現ベネッセホールディングス会長兼社長)時代にある。
日本マクドナルドは1971年、
米国マクドナルドよりフランチャイズ権を獲得した
藤田田により設立された。以後、
急成長を続け、82年には全店売上高703億円で
外食産業トップとなっている。
藤田時代の経営の成功要因は、
要約すれば「時代の趨勢」である。
高度成長の最中であり、人々は
米国文化に憧れていた。しかし藤田は、
米国で成功した手法をそのままコピーするのではなく、
日本の事情に合わせてローカライズした。
たとえば1号店出店では、郊外での出店を指示するアメリカ本社の意向に同意せず、
流行の発信地である銀座を選んだ。
それによりハンバーガーという日常食を、
プレミアム商品として位置づけることに成功した。
チェーン経営においても、フランチャイズ店中心の米国とは
路線を違え、直営店中心のレギュラーチェーンを展開した。
ハンバーガー大学を設立して人材を育て、
子飼いの社員たちをチェーン店の店長に据え、
家族的な経営を行った。95年に初の減益を経験すると、
価格を下げ、地方や小都市にまで
店舗を展開するペネトレーション戦略に変更。
売上高を倍増させ、01年にはJASDACへの上場を果たす。
03年に藤田が社長を辞任すると、
日本マクドナルドは売上高、経常利益ともに
大幅なマイナスに陥る。04年、
業績悪化を受けて、アップルコンピューター出身の
原田が新たなCEOに就任した。
原田が行ったことを一言で言えば、
マクドナルド米国本社の意を受けて、
藤田が「日本化」した日本マクドナルドを
米国標準に戻すことだった。
00~03年にかけて収益力が悪化した米国マクドナルドでは、
「Plan To Win」と題する経営の刷新を行っていた。…
図:データでみるマックの業績
多くの店舗をリニューアルし、24時間営業を開始。
また店内に新しい調理機器を導入、
それまで作り置きしていたハンバーガーやポテトを、
オーダーを受けてから作る、
「メイド・フォー・ユー」と呼ぶ形に変えた。
さらに「メガマック」「プレミアムローストコーヒー」などの新商品を開発投入し、
業績回復に成功する。原田が行ったのは、
米国で成功を収めたこれらの戦略を日本に導入することだった。
それまで導入が進んでいなかったメイド・フォー・ユーは、
1年で一気に全店舗に導入するよう指示。
「メガマック」「プレミアムローストコーヒー」、
さらに日本独自開発の「えびフィレオ」などの新商品を投入。
低価格戦略によって「チープ」という固定観念が定着していた
マクドナルドのイメージを一新することに成功。
24時間営業や地域別価格の導入で利益率も改善された。
もともとの企業理念であるQSC
(クオリティ、サービス、クレンリネス=清潔さ)の向上を
徹底させる一連の施策により、
日本マクドナルドは一時の不振を払拭し、
売上高は大きく伸びた。
それにより店舗も活況を呈したが、
その割に利益率は上がってこなかった。
これを問題視した米国本社では、07年、
シニアディレクターのデイブ・ホフマンを
日本マクドナルドのFCシステム運営責任者として日本に派遣する。
ホフマンが行ったのは、
日本マクドナルドの直営店のフランチャイジーへの売却だった。
直営店をフランチャイジーに売却すれば、
1店あたり数千万円のキャッシュが得られる。
このキャッシュは会計上、
フランチャイズ店からの収入として計上される。
08年に始まる3年間で2千数百の直営店が売却され、
07年の直営店の割合71%が、
12年には34%まで下がった。この間、
日本マクドナルドには年間35億円ほどの売却益がもたらされた。
店舗売却と同時に、それまで
日本マクドナルドの社員だった店長や本部の経営幹部が
フランチャイジーに移籍させられていった。
07年に4,997人だった日本マクドナルドの従業員数は、
13年には2,764人まで減っている。
キャッシュが入り、移籍した社員の人件費が削減され、
さらに資産を売却した分だけ資産が圧縮されて、
日本マクドナルドの総資産利益率や
自己資本利益率は向上。11年には最高益を更新している。
■「トイレが汚かった」「店員に笑顔がなかった」等の指摘
しかしリストラや店の売却による利益嵩上げは、
いつまでも続けられるものではない。…
日本マクドナルドでは09年、直営店売却に続いて、
全店舗の11%にあたる413店を一斉に閉店している。
これによってさらに総資産が圧縮され、
また閉鎖された店舗の顧客が近隣のマクドナルドへ流れて、
既存店の1店あたり売上高も向上した。
しかし、既存店の1割以上を閉店したにもかかわらず、
実際の既存店の売上高の向上はわずか1%程度にとどまったのだ。
私がマクドナルドの異変に気がついたのは、
12年、経産省の支援の下で、自らが
調査システムを設計したJCSI(日本版顧客満足度指数)調査において、
マクドナルドの順位が急低下しているのを知ってからだった。
それまで、ロイヤルホストやデニーズ、
吉野家などより上だったマクドナルドの顧客満足度(CS)が、
その年、これらすべてのチェーンに一気に抜かれてしまったのだ。
この調査では「トイレが汚かった」「店員に笑顔がなかった」
といった指摘が多く見られた。
過去1年間の印象を聞いているので、
12年調査のCS低下は、11年にマクドナルドで
何らかの問題が起きたことを示唆している。
これだけCSが落ちているのに、表向きの業績は絶好調。
これはどう考えてもおかしい。
「何か隠された裏事情があるのでは?」と改めて
財務諸表を精査してみた。その結果、
ここまで述べてきたような問題が浮かび上がったのである。
原田が社長に就任した04年に6億人台だった来店客数は、
4年後の08年には9億人を突破。その一方、
作り置きをなくしたことも手伝って、スタッフへの負荷が大きくなりすぎ、
店内の掃除をしたり、笑顔をつくる余裕すらなくなっていたのだ。
安くておいしいコーヒーを出し、24時間営業を行ったことで
マクドナルドの客数は増えたが、一方で店舗が喫茶店化し、
昼間にノートパソコンを抱えたビジネスマンが仕事したり、
深夜に男性客がたむろするようになった。
その結果、ファミリーや女性客の足が遠のいてしまった。
来客数が増え短期的な売り上げは伸びたが、客単価は減少し、
さらに低価格のコーヒーを提供し始めたセブン-イレブンなどの
コンビニエンスチェーンと競合するようになった。
■えびフィレオ以来、独自の商品開発はほぼ行われていない
原田体制の問題点は、短期の利益志向が強すぎたことだ。
創業経営者だった藤田と異なり、プロの経営者である原田は、
常に米国本社を向いて仕事をしていた。
藤田社長時代の末期に2.5%だった米国本社へのロイヤリティは、
原田時代に3%に引き上げられた。…
図:原田氏の3つの改革
コスト削減のため藤田が育てたベテラン管理職を
社外に放出したことで、開発力も衰えた。
原田時代の新商品は海外からの導入ばかりで、
05年の「えびフィレオ」以来、
日本独自の商品開発はほぼ行われていない。
藤田時代には温情主義で、契約が切られることは
ほとんどなかったフランチャイズ店との関係も変わり、
外形的基準により一方的にフランチャイズ契約が打ち切られるケースが相次ぎ、
訴訟に発展した例も出た。
現場では客の回転数を上げ効率性が追求された結果、
スタッフの負担が過大となり、
笑顏が失われ店内の清掃も行き届かなくなって、
客離れに至った。原田体制の後半、
日本マクドナルドは求心力を失い、
人的資源は大きく劣化してしまったように見える。
最悪の状況で経営を引き継ぐことになった現CEOのサラ・カサノバは、
原田体制の被害者といえる。しかし、
復活の芽はある。
日本マクドナルドには、かつて藤田が育てた人材が社内外に残っている。
原田の辞任とともに、これまで一大勢力をつくっていた
コンサルティング系メンバーが減り、
原田時代に放逐された元社員たちが本社に戻りつつある。
現在、マクドナルドでは野菜を多く使った「ベジタブルチキンバーガー」など、
健康志向の新商品を開発・投入している。
これは離れてしまった顧客、なかでも女性と
ファミリーを呼び戻す狙いがはっきりした戦略だ。
また地域別の事業制を採用し、各地で現地の好みに合わせた
ローカル商品の開発も始めており、米国流の全国一律の
マス・マーケティングから距離を置き始めている。
これらはブランドイメージの再構築が必要な
現在の日本マクドナルドに適した戦略といえる。
赤字に転落した今も、マクドナルドには多くの熱烈なファンがいる。
衰えたりといえども、3カ月で日本の全消費者の3分の1が訪れる、
日本最大の外食チェーンである。
同社が現在進めている「日本化」改革をやり抜けば、
必ず顧客からの支持を取り戻せると私は見ている。
(文中敬称略)
法政大学経営大学院イノベーションマネジメント研究科教授 小川孔輔
構成=久保田正志 図版作成=大橋昭一 撮影=宇佐見利明
http://www.excite.co.jp/News/economy_clm/20150731/President_15780.html