ここ一週間程は気持ちが塞いだ。
先日は父の初彼岸だった。
「初彼岸なんて、どうってこともないよ。」
と言いながら、母は一人で全てを執り行った。
地元の初彼岸の行事は大きいので、高齢の母にはきつかっただろうと思う。
お供えと共に、「春の輪さげ」を送ったが、
母は、これからもずっと作り続けて欲しいと言う。
そのくせ「宝袋」も「まつぼっくり」も、しっかり仏壇に供えてある。
置物にすると、そういうことになるので、
そのうち仏壇にも置き場所がなくなるのではないかと心配になる。
たがらやはり、「つるし飾り」にしてあげるしかないという気がしている。
大阪の叔父は「さるぼぼ」が好きだと言うけれど、母は「さるほぼ」が大嫌いだ。
縁起物とかどうとかいう話はさておき、
その昔、飛騨の高山へ観光旅行に行った際、
トイレ休憩の間に、観光バスに置き去りにされたことがあるらしい。
母は見知らぬ土地で右も左もわからず途方にくれていたところ、
地元の親切な方が、わざわざ宿泊先まで車で送ってくれたのだとか。
それは大変に有難かったのだけれど、
心細かったことに加えて、観光ガイドさんからお詫びの品として
「さるぼぼ」を頂いたことが、どうしても好きになれない原因らしかった
その一方で、「顔のあるものは好き。」と言う。
はいこ、おくるみ人形、俵ねずみ、うさぎ・・・
小さなモチーフにも、人其々に好みがあるらしい。
父は「鳩」が好きだった。
「うぐいす」も見せてあげられたら良かったと思う。
先日は父の初彼岸だった。
「初彼岸なんて、どうってこともないよ。」
と言いながら、母は一人で全てを執り行った。
地元の初彼岸の行事は大きいので、高齢の母にはきつかっただろうと思う。
お供えと共に、「春の輪さげ」を送ったが、
母は、これからもずっと作り続けて欲しいと言う。
そのくせ「宝袋」も「まつぼっくり」も、しっかり仏壇に供えてある。
置物にすると、そういうことになるので、
そのうち仏壇にも置き場所がなくなるのではないかと心配になる。
たがらやはり、「つるし飾り」にしてあげるしかないという気がしている。
大阪の叔父は「さるぼぼ」が好きだと言うけれど、母は「さるほぼ」が大嫌いだ。
縁起物とかどうとかいう話はさておき、
その昔、飛騨の高山へ観光旅行に行った際、
トイレ休憩の間に、観光バスに置き去りにされたことがあるらしい。
母は見知らぬ土地で右も左もわからず途方にくれていたところ、
地元の親切な方が、わざわざ宿泊先まで車で送ってくれたのだとか。
それは大変に有難かったのだけれど、
心細かったことに加えて、観光ガイドさんからお詫びの品として
「さるぼぼ」を頂いたことが、どうしても好きになれない原因らしかった
その一方で、「顔のあるものは好き。」と言う。
はいこ、おくるみ人形、俵ねずみ、うさぎ・・・
小さなモチーフにも、人其々に好みがあるらしい。
父は「鳩」が好きだった。
「うぐいす」も見せてあげられたら良かったと思う。