かすかべみてある記

日光道中第4の宿場町・粕壁宿を忠心にクレヨンしんちゃんのまちかすかべをみてある記ます。

かすかべ花便り2022・牛島の藤

2022-04-28 19:30:00 | 藤の花
◆晴天に誘われて
週明け月曜日25日は、気温も上がり、汗ばむ陽気でした。かすかべの市の花藤も見頃とのことで牛島の藤を観に行ってきました。本当に久しぶり。
場所は、市内牛島にある藤花園
ホームページはこちら
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古利根川沿いを歩いて徒歩でも行けます。車の場合は専用駐車場の他、近くのパチンコ店と共用の広い駐車場が利用できます。駐車場から200m程歩くと藤花園の入口です。



藤花園入口
コロナ禍で、一昨年、昨年と休園が続いており、3年ぶりの開園と言うことで多くの方が訪れていました。
◆園内
入園して、右手の欅の下に石碑があります。

天然記念物牛島之藤

昭和参年四月建設

牛島の藤案内石碑
 国指定特別天然記念物
   牛島の藤案内
この藤は、樹齢約千年といわれる古藤で、山藤に似ているが、つるは右巻きで毛がない変種といわれ、全国一をほこる根のまわりは十平方メートルもある。明治の頃は、三メートルちかい花房をつけていた。藤棚は七百平方メートルの面積がある。園内にはおなじ藤が二本あるが毎年五月はじめに藤紫色の花をひらき美しいながめは関東一といわれている。昭和三年一月十八日国の天然記念物、昭和三十年八月二十二日文化財保護法により特別天然記念物の指定をうける。
   藤の伝説 
むかし、柳原で農家の娘が長い間病気で苦しんでいた。旅僧から娘の病気は生垣の中にある藤を寺に納めるとよくなるといわたので 藤を寺の境内に移し植えたところ病気は治ったという。この寺は蓮花院といわれ今はないが、藤だけが残されてそのあとをしのばせている。
  昭和四十七年三月 
埼玉県教育委員会
春日部市教育委員会  
春日部市 関根石材店施工
 
また、頂いたパンフレットには
由来微証伝説(現在高野山にあり)
当園は元真言宗蓮花院の境内なりしを明治七年当寺の住職藤岡好三氏其の筋へ出願なし、廃寺となり爾来所有者変わり現在にいたる、又、人々の言伝えによると、千二百年前、弘法大師お手植の藤とも聞きおよぶ。
と書いてありました。

日本語、中国語、英語の案内板

凄い生命力



園内の南西に小高いところがあり、そこからみると



絶景かな




◆藤を守る

なお、藤花園さん開園(藤の公開)は、長年受け継いだ藤を守るため、4月から5月の開花時期だけです。

以前、園長さんに伺ったところ、

国の天然記念物の藤を守るため、肥料には、酒粕などを与えている。そして、藤の開花には冬と夏の気温差も大いに関係しており、冬が暖かくても、夏が涼しすぎても花は綺麗には咲かない。

と仰っていました。実際藤の根本には、こんな立札も


創業文化五年(1805)世界鷹小山家グループ小山景一氏経営の(秋田)北鹿(新潟)雪椿・ 越の2本櫻 (埼玉)都鷹(茨城)賜杯櫻(伏見)世界鷹・京姫(灘)浜福鶴各銘醸庫より寄贈の酒粕を毎年寒肥として施肥しこの見事な花房の活動力の源泉となっております。
  特別天然記念物
     藤花園主
      小島すい子

丹精込めて藤を守ってきたことがわかります。小島すい子氏は先代の園長さんのようです。

なお、藤の花の香りを感じられるのは、日差しが強い日中より、朝早くか夕方がおすすめとのこと。また、コロナ禍の前までは、外国の方も増えていたそうですが、2シーズン閉園でしたので、しばらくは期待できなそうです。

そして、入口付近には



やはりお寺の名残りのようです。




かすかべ花便り2022・粕壁神明社の藤

2022-04-24 19:30:00 | 藤の花
◆藤の出番

桜の季節が終わると春日部市の花“藤”の出番がやってきます。

当地かすかべで藤の花と言えば樹齢1200年余と言われる国の特別天然記念物「牛島の藤」がよく知られていますが、その他にも市内の公園や神社などではよく藤棚を見かけます。

また、春日部駅西口の「ふじ通り」にはその名の通りの通り道路の両側に立派な藤棚がありますが、開かずの踏み切りを渡って行かなければいけないのでなかなか行けません。

そして、例年であれば藤の花の時期には、このふじ通りで春日部を代表する一大イベント「春日部藤まつり」が行われ、多くの見物客が訪れ、華やかなパレードや模擬店などで賑わうのですが、昨年(2021年)は、一昨年(2020年)に引き続き新型コロナウイルス感染拡大の影響により2年連続中止、そして今年も残念ながら中止が発表されおり、引き続きオンライン形式での開催となるようです。やはり寂しいですね。

神明社の藤

日光道中粕壁宿の問屋場跡辺りは、江戸時代に名主を務めた見川家の屋敷があったとされ、その敷地内に祀られていたとされる粕壁神明社の境内にも小さいですが藤棚があります。

夏の暑い日にはこの藤棚の下で涼むことがありましたが、なかなか上を見上げる心の余裕がありませんでした。そう言えば藤の花でした。


藤棚の先は神明社本殿

小さな藤棚

古びた木のベンチでしばし藤の花見

房は短いですが、藤の花は散り始めていました。


ここのところ、気温の高低差が大きく、体調を整えるのが難しかったですね。マスクを付けていますので、いきなりの夏日、熱中症対策などと言われても。

水分をしっかり補給してバテないように気をつけましょう。


日光道中粕壁宿・問屋場界隈

2022-04-20 19:30:00 | 地域発信情報
更新日:2022/04/20・公開日:2019/03/01
◆創業は慶長年間
粕壁宿の問屋場跡近くに、㈱永嶋庄衛商店という江戸時代慶長年間創業の老舗の米穀店(商)があります。慶長年間と言えば、今から400年以上前の1596年〜1615年までの期間を指し、豊臣秀吉がまだ天下人だった時代、そして下記の写真の説明文にあるように、徳川家康が慶長8年(1603)に、江戸に幕府を開いた頃からこの米穀商は商いをされているということですからもの凄い歴史です。



(2018/12/26撮影)
屋根を見上げると、そこには、何やら、、、

(2018/12/26撮影)

(2018/12/26撮影)

屋根には鍾馗様の像があります。

コロナ禍以前は

(2019/2/21撮影)

店先には写真説明文が掲示してありました。このように粕壁宿の古いお店の前には、そのお店の昔の写真が説明文を付けて掲示されていました。コロナ禍でまち歩きが無くなり、残念ながら今は写真の掲示はありません。従って、日付のある写真はコロナ禍前のもの。

(2018/12/14撮影)

写真の説明文

江戸初期より米穀商として営業しています。地利と水運に恵まれたため、多くの米穀商があったようですが現在営業しているのは当店だけとなりました。建物は明治初期の建築と聞いていますが、関東大震災などにも耐え、現在に至っています。屋根の上には、魔除けの鍾馗様の像があります。

邪鬼を踏みつけている鍾馗様2018/12/ 14撮影)
鍾馗様とは
中国の疫病を防ぐ鬼神。唐の玄宗皇帝の夢に鍾馗と名乗って現れ、病魔を、祓(はら)ったので、画工の呉道士にその像を描かせたことに始まるという。濃いひげをはやし、黒衣、巨眼の姿で剣を帯びる。日本では五月人形に作ったり、朱塗りにして疱瘡(ほうそう)よけの護符などとした。鍾馗大臣。(スーパー大辞林)
このように屋根瓦の上に鍾馗像が乗っている家はお隣の岩槻市では見たことがあります。未確認ですが、かすかべではここだけだと思います。
なお、近畿では、奈良の田原本町で見たことがあり、その家屋には多くの鍾馗像が乗っていました。また、特に京都の町屋に多いとも言われています。

なお、この場所、今年2月14日に放送されたテレビ朝日の人気紀行番組『じゅん散歩』でじゅんさんこと散歩人の高田純次さんが案内人さんの説明後、屋根を見上げながら「鍾馗様ってあれでしよ、五月の節句の」 そして、「春日部って見るもの聞くもの何かねぇ、多いみたいだね」と仰っていました。

気候もよくなりました。感染予防対策をして粕壁宿を観て歩くのもおすすめです。





日光道中粕壁宿・問屋場跡

2022-04-16 19:30:00 | 地域発信情報
更新日:2022/04/16・公開日:2019/03/01
問屋場跡

粕壁宿の案内板の先にある埼玉りそな銀行の前辺りが粕壁宿の問屋場跡です。もちろん今は何も残ってはいません。あるのは案内板のみ。




◆案内板
問屋場
問屋場(といやば)は、公用の旅人や荷物を運ぶ人馬を手配施設である。粕壁宿では、継送(けいそう)に必要な人足(にんそく)三五人、馬三五疋(ひき)の常備が課せられていた。この辺りは上宿(上町)と呼ばれ、人夫が集まることから、飲食店も多く月に六度の市がたった。なお、問屋場は文政九年(1826)に三枚橋(さんまいばし)に移転した。向かいの神明通りは、名主や本陣を勤めた見川家の屋敷内の通路であった。通り沿いの神明社には、同家の屋敷神といわれる見川稲荷が残っている。
※三枚橋(さんまいばし)は、少し江戸寄りにある字名。

古利根川から草刈場の田に潅漑用の水路が街道を横断していた(現在は暗渠)。その水路に架けられた橋の名三枚石橋より称えられたもので、日光道中宿村大概帳に「字三枚橋・石橋・長三尺・三間・是を自普請仕来」と記されている。橋の架けられていた所は粕壁小学校入口の「ハヤシヤ」の右脇で、三枚の石板で構築されていたので、この名があると伝えられる。(引用:ふるさと春日部『かすかべの歴史余話/粕壁地区の地名』須賀芳郎/1977年)

見川家とは、江戸時代に粕壁宿の名主を務めた見川嘉藏(みかわ・きぞう)のことを指す。埼玉県ゆかりの偉人データベース(春日部市)によると

見川喜蔵
粕壁宿の宿役人。諱は知挙。粕壁宿名主の家に生まれ、天明3年(1783)浅間山の噴火による降灰で生活に困り飢えた人々に粥を煮て施したり、宿内の地主を説いて雑穀を提供させた。また、寛政3年(1791)古利根川が決壊したため自費で古堤の上に盛り土をして堤を増築。この堤は喜蔵堤といわれる。(埼玉県ゆかりの偉人データベース/春日部市)

神明通りを駅方向にいくと、江戸時代に見川家の屋敷稲荷があった粕壁神明社があり、毎年暮れの12月14日に酉の市が開催され、多くの参拝客で賑わいます。

なお、見川家の墓所は寺町の成就院にありますが、見川家自体は当地には見当たりません。

また、埼玉りそな銀行春日部支店は、6月13日に、駅近くのスーパーホテルの一階に移転開店します。跡地はどうなるのでしょうか?


かすかべ花便り2022・古隅田川の桜

2022-04-08 19:30:00 | 
◆古隅田川
古利根川は新町橋附近で古隅田川と合流します。頭に古がつきますが利根川と隅田川の合流、ここは絶好のロケーションです。
新町橋から、正面は古隅田川、右手古利根川そして正面の橋は十文橋。
最勝院の裏手を流れる古隅田川沿いにも数本の桜の木があり、あまり人が来ない場所なので、密にならずゆっくりお花見ができます。もう桜は散り始めていました。
十文橋から

最勝院の裏手

遊歩道を
 
更に進むと

建物が

遊歩道を歩いて行くと、正面に市立春日部中学校の体育館が見えてきました。その前に見事な桜の並木。
◆向島の桜
この春日部中学校正門の近くに、古典落語などでお馴染みの東京墨田区向島にある三囲神社(みめぐりじんじゃ)と同じ社名と伝説が残る三囲稲荷社(みめぐりいなりしゃ)という小さな神社があります。
この三囲稲荷社は、その昔春日部中学校の校庭の塚の上に鎮座していたと言われています。この体育館辺りかも知れません。
と言うことは、古隅田川があって土手に桜並木があり、さらに三囲さんがある、まるで東京墨田区の向島と同じではありませんか?
なので、自分の中では、ここの桜を"向島の桜"のような気分で毎年観ています。
◆対岸から
最勝院の裏側から対岸を見ると


こちらからの眺めも良いですね。
今朝、古利根川の川面には桜の花筏が見えました。


今日は風が強いので、桜は散ってしまうのでしょうか、これで今年の桜は見納めです。