かすかべみてある記

日光道中第4の宿場町・粕壁宿を忠心にクレヨンしんちゃんのまちかすかべをみてある記ます。

日光道中粕壁宿・八坂香取稲荷合社(後編)

2022-12-31 19:31:00 | 地域発信情報

公開日:2018/12/31•更新日:2022/1231

◆一の鳥居

以前は朱い鳥居でしたが

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2年ほど前に塗り替えられ、今は



現在は、濃いワインレッド?

 この一の鳥居は、明治21年(1888)の建立で、笠木(かさぎ)が反って、反増(そりし)があり、また、台輪(だいわ)額束(がくつか)が付き、足は4本。この形の鳥居を両部鳥居(りょうぶとりい)と呼ぶそうです。安芸の宮島の厳島神社の鳥居に似ています。

◆ニの鳥居

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また、奥のコンクリート製の鳥居は、昭和26年(1951)の建立。付属品がなく極めてシンプルな靖国鳥居(やすくにとりい)の形です。そういえば名前のように、東京・九段の靖国神社の大鳥居に似ています(規模は全く違いますが)。

◆狛犬

そして、狛犬。立派な狛犬です。下のほうに子供(?)の狛犬がいます。面白いですね。阿形(右)は明治23年(1900)4月建立、型は子落し、吽形(左)は元治元年(1864)3月建立、型は身構え、石工(いしく)は、地元八丁目村新町の徳島寅松。徳島寅松は、幕末から明治期の石工で、白岡市高岩の天満神社、杉戸町清池の八幡神社、同町堤根の第六天神社、香取神社、宮代町東の五社神社(二対)に作品があるそうです。

 また、台座(獅子山)には、右に「新」、左に「町」と彫られています。この地は、八丁目村字新町という字名で、新町橋という橋名は、そこからきているのでしようね。


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この八坂香取稲荷合社では、今晩の大晦日と明日の元旦祭として、年をまたいで祭礼が行われます。

元旦祭の告知

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 圧巻は、勇壮な千貫神輿、今晩宮出して、氏子さんが担ぎます。

 それでは、良いお年をお迎えください。

 

【八坂香取稲荷合社】

 

 


 備考:この記事を書くにあたっては、「埼玉の神社北足立、児玉、南埼玉」(埼玉県神社庁)、「春日部の神社」(須賀芳郎著)、「狛犬探訪」(久保田和幸著、㈱さきたま出版社)を参考にさせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日光道中粕壁宿・八坂香取稲荷合社(前編)

2022-12-28 19:30:00 | 地域発信情報

公開日:2018/12/31・更新日:2022/1228

◆除夜の鐘?

 粕壁宿の大落古利根川に架かる「新町橋」を渡ると、毎年大晦日の夜、12時近くに、除夜の鐘の音ではなく、「トントコトントコ」という軽やかな太鼓の音と威勢のよい掛け声が聞こえてきます。

 「えっ何?、えっもしかしてお神輿?」、そうですそのお神輿なのです。

 太鼓とお神輿の威勢の良い掛け声は、かすかべ大通りを高層マンションの交差点を右折し、新町橋を渡り、次の信号の先にある地元の氏神さま「八坂香取稲荷合社」から出る大きな神輿の担ぎ手の声。

◆八坂香取稲荷神社


鳥居

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拝殿

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本殿

◆由緒

社名に合社とあるのは、八坂、香取、稲荷の三神(はしら)が一緒に相殿(合殿)されていることから合社とされています。

この神社は、室町時代の永享(えいきょう)元己酉年(1429)に下総国一宮香取神社を勧請したと伝えられ、隣の仲蔵院より古いようです。

 社蔵の棟札や嘉永(かえい)3年(1850)の「鎮守香取大明神来歴」によると、永禄(えいろく)元年(1558)に別当を務めていた真言宗神林山仲蔵院住職秀宥(しゅうゆう)により再建されたとのこと。

 その後当地が武蔵国葛飾郡となった頃より、相殿に八幡大菩薩を勧請し、共に当村の鎮守産土神(ちんじゅ・うぶすながみ)として祀ったと言われています。

 現在の社号にある八坂と稲荷については末社として祀られたもので、江戸時代までは当社が別当仲蔵院境内に鎮座する形になっていたが、明治時代になって境内が独立したと思われます。

  明治36年(1906)上地林(じょうちりん)の境内編入に合わせて、三社が合殿(相殿とも)とされた。明治45年に字樋籠(ひろう)の香取神社とその境内社が合祀されました。

◆ご祭神

ご祭神は、以下の三神(みはしら)です。

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八坂素戔嗚命(やさかすさのおのみこと)

 素戔嗚命は天照大神の御弟神で八岐の蛇(やまたのおろち)を退治されたことで有名です。この神様の別名を牛頭天王(ごずてんのう)と呼ばれているところから天王様と呼んでいます。

 この神様は、厄病除けや災難除けの御利益があるとされています。

▼香取経津主命(かとりふつぬしのみこと)

 日本の建国に大功を立てられた国家鎮護の神様であります。

 経津主命も武甕槌神(たけみかづちのかみ)と同じく、火の神・軻遇突智(かぐつち・愛宕神社の祭神)の死の際に生まれた神で、霊剣の神とされています。剣が物を斬る音を表す「ふつ」という古代語があります。

 これは、現在の「ぶっつり」「ぷっつり」という言葉に繫がるもので、剣が物を斬る音を神格化した神がこの神様です。つまり「悪霊を斬り退けてくれる神」という意味の神様です。そのためこの経津主命は武芸の神とも言われています。

▼稲荷豊受姫命(いなりとようけひめのみこと)

 生命の下になる米の生成をお守りになり、又商売繁盛にも優れた御神徳を輝かしておられます。

 この神様は、伊勢神宮の外宮の御祭神です。外宮は、伊勢神宮の御饌(みけ)の神だとされ、御饌、即ち天照大神の食物の調達を請け負った神様がこの豊受姫命とされています。

 また、この神様は、本来は天照大神の家来の神でしたが、中世以降、農民たちの農耕神としてこの神様への信仰が高まり、外宮が内宮と並んで伊勢参りの目的地とされました。

◆千貫神輿

 圧巻は、勇壮な千貫神輿

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 この写真は、夏の祭礼の時に撮影したものです

 続く…



【八坂香取稲荷合社】

 

 

 備考:この記事を書くにあたっては、「埼玉の神社北足立、児玉、南埼玉」(埼玉県神社庁)、「春日部の神社」(須賀芳郎著)、「狛犬探訪」(久保田和幸著、㈱さきたま出版社)を参考にさせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日光道中粕壁宿・大落古利根川の主役が帰ってきた・・・

2022-12-24 19:30:00 | 地域発信情報
 以前下記(【過去記事】)の記事を書きましたが、日光道中の粕壁宿に沿って流れる大落古利根川の主役は、市鳥になっているユリカモメです。在原業平の伊勢物語に登場する都鳥とも言われています。

 コロナ禍以前は、12月初旬から2月にかけて沢山のユリカモメが渡って来ていましたが、コロナウィルスの感染拡大が始まった2020年初頭からパッタリ渡って来なくなりました。

 大落古利根川の冬の風物詩でしたので、もうこのまま飛来しないのか、と少し寂しく感じていました。

 今年こそ、来年こそと待ち侘びていた矢先、たまたま古利根公園場橋を通ったら、
何と欄干に白い鳥が2羽止まっていました。
でも2羽だけなんです。




お帰りなさい!

君たちは先遣隊?

あとから多くの仲間たちが来るのかな、折しも、東武動物公園で鳥のインフルエンザが確認されたそうなので、君たちは関係ないよね。


【過去記事】
日光道中粕壁宿・大落古利根川の主役ユリカモメ - かすかべみてある記

日光道中粕壁宿・大落古利根川の主役ユリカモメ - かすかべみてある記

公開日:2019/01/18・更新日:2022/08/14今回は、粕壁宿に沿って流れる大落古利根川と毎年晩秋から冬にかけてそこに飛来する渡り鳥について書いてみます。◆橋上の公園大落古利...

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これから春まで沢山の仲間を呼んでね。

皆んな楽しみに待ってます!!


終わり


日光道中粕壁宿・粕壁神明社(余話)

2022-12-20 19:30:00 | 地域発信情報

◆いつもの余談

※あくまでも自分の考えです。

この粕壁神明社(神明神社)のご祭神は天照大神ということです。天照大神は、皇祖神とされ、伊勢神宮内宮の主祭神です。

平安時代の初め頃までは、貴族など上流階級の限られた人しか参拝できませんでした。

その後、伊勢神宮は財政難に陥り、打開策として神職の御師(おんし)を全国に派遣し、伊勢信仰の普及に努めました。

そして、江戸時代中期頃には、一般庶民の間にも「一生に一度はお伊勢参り」などと庶民の信仰を集めてきました。

御師(おんし)とは、伊勢神宮に仕える神職で伊勢参りを広めるのに、大きな役割を果たしたとされる。御師は各地でお札を配り、お得意先を勧誘。道中の手配や宿泊、神楽奉納も請け負った。言わば、現在の旅行会社やガイドの草分け的な存在であった。その「営業」範囲は、北は津軽、南は、九州・薩摩にまで及んだという。

なお、12月のことを陰暦で「師走」と言いますが、その「師」とは御師のことを指す、つまり御師が忙しく走り回ることから「師走」と呼ばれたという説もあります。

疲弊・困窮した時代

特に粕壁神明社が祀られたとされる天明年間は、大飢饉、浅間山の噴火など世の中が騒然とし、民が疲弊・困窮した時代でした。

恐らく粕壁宿周辺も例外ではなかったと思われます。九里四郎兵衛が屋敷内を開墾していたのも、甘藷(サツマイモ)など食料確保の意味があつたのかも知れません。

そのような時代背景もあり、粕壁宿の商人の間に「お伊勢さん」信仰が広がったのではないでしょうか。

今でも、粕壁宿周辺の神社には、「伊勢講」に関する石碑が数多く見られます。

もしかしたら、「御師」(おんし)も当地に普及に来たのかも知れません。

そして、明治期以降は、商売繁盛の神として、宿場の守り神として、人々の信仰を集め、230年ほど経ったこの令和の時代にも変わらず多くの方が参拝に訪れています。

終わり

 

 


日光道中粕壁宿・粕壁神明社の酉の市

2022-12-16 19:30:00 | 地域発信情報

◆神明社の「酉の市」

毎年、新穀感謝祭の日の12月14日(固定)に「酉の市」が行われます。さいたま市の大宮氷川神社の「十日市」に続く「酉の市」で、「おかめ市」の通称でも知られています。コロナ禍の前は、毎年一万人ほどの人出でがあると言われていました。

今年、2022年は、一昨日の水曜日に開催されました。午前中から風が強い日でしたが、行動制限のない年末でしたので、お子さんたちの賑やか声が聞こえる「酉の市」となりました。

夕暮れ時の神明通り


久しぶりに賑やかさ



その前に感染対策


 
縁起物の福熊手



いよいよ



獅子頭?


今や粕壁宿の年の瀨の風物詩、今年はコロナ前のように夜遅くまで威勢の良い掛け声が神社周辺に飛び交っていたようです。


続く…