スーの旅日記

ひとり旅の日本100名城スタンプラリー、神社仏閣めぐり、その他。

晴明神社

2014-01-02 12:00:51 | 日記
大阪の安倍晴明神社に行ったなら、京都の晴明神社にも行かないと…という事で、翌月の5月に行ってきました。



鳥居には五芒星が…。

ワクワクドキドキ。



↑ 旧一條戻橋

横に居るのは式神でしょうか? この欄干親柱は実際に平成7年まで使われていたものをミニチュアで再現。





晴明神社は晴明公の屋敷跡になり、寛弘4年(1007年)に創建されたものです。

奇しくも大阪にある安倍晴明神社も同じ年に創建。




↑ 晴明井 病気平癒の水としてご利益があるそうで。

山城名泉のひとつ。また、千利休の屋敷跡であり、この霊水でお茶をたてたそうです。このお茶を秀吉公が飲んでるかもしれませんね。

歴史ロマンを感じますな。

立春になると井戸の上部を回転させ、取水口がその年の恵方を指す仕組みになっているとか…。


↑ 厄除桃 桃は厄除、魔除けの果物

厄除に撫でると良いらしい…?



さすがは陰陽道、九字の盤?がありました。素人は面白半分に九字を切らないほうがいいみたいです。





新鮮な雰囲気が漂っているような、空気が澱んでいないような…とても綺麗な神社でした。




阿倍王子神社

2014-01-02 10:06:29 | 日記
続いては阿倍王子神社に。

熊野神社の分霊社である九十九王子の一つとされ、大阪府内では唯一現存しているそうです。






同じ境内に安倍晴明神社がありますが、つながりは無いみたいです。阿倍王子神社の末社として許可されたそうです。

ここの社務所で安倍晴明神社の御朱印も頂けます。


安倍晴明神社

2014-01-01 19:19:55 | 日記
思い出したように更新(笑)。

何年か前に行った大阪は阿倍野区にある安倍晴明神社です。

神社の創建は寛弘4年(1007年)と伝えられているそうです。










↑ 晴明公の母親とされる葛之葉(白狐)


↑ 葛之葉が信田森から飛来する姿をイメージした像



天慶7年(944年)に晴明公はこの地に生まれたそうです。



ここの神社でおみくじをひき『大吉』でした。

矢場とん

2013-06-08 16:17:21 | 日記
清洲から名古屋に戻って、最後は矢場とんで締めくくり。

名古屋名物といえば、やっぱり“味噌かつ”

…という事で『矢場とん』さんに行ってきました。


名古屋駅エスカ店に15時ちょっと前に到着。

若干名並んではいましたがすぐに中に入れました。

有名店に来たからにはやっぱり名物メニューを

頼んだのは




わらじとんかつ定食

ドカーンと量が多い ヤバいですやん。

この量を見てです。完食出来るやろか

心配しながら食べ進めているうちにペロッと完食

美味しゅうございました~。


この量なので、さすがに晩ごはんは食べれません。昼と夕の兼用になりましたね。


そうそう、宿泊先で朝食の後には名古屋城で買ったしゃちほこ饅頭を食べましたわ。




これにてひとまずは愛知の旅は終わりました。ありがとうございました。

石碑と銅像 (清洲)

2013-06-07 22:49:46 | 日記
清洲城天守の後は清洲公園の方に信長公の銅像を見に行ってきました。



ありました~、信長公の銅像。



織田信長公26歳の1560年(永禄3年)、清洲城から桶狭間の戦いに出陣、その姿を模した銅像で、桶狭間の方向を見据えているそうです。





後ろから前からどうぞ~、後ろから前から銅像。

昔、「後ろから前から」というタイトルの曲があったのです。何故かその曲を思い出し撮ったという私…



横からもどうぞ、銅像。(おもしろないねん ……)



↑ 最後はアップでドーン

信長公のお顔がなかなか凛々しいですよね。




↑ こちらは清洲古城跡公園にある石碑

元々清洲城があった場所に建てられていました。