坑内を歩き進めると“太閤水”がありました。
説明板によると、天正5年に羽柴秀吉公がこの地に入った時に、この水を飲み、あまりの美味しさに茶をたてた由来があるそうです。
宇治に行った時もそうですが、秀吉公はホントにお茶がお好きなんですね~(笑)。
出口が近づいてきました。1kmの観光坑道で、ず~っと穴の中を歩いていた事になるのですが、同じ道を歩いている所があって、正直「道に迷ったぁ? え~っ!? どうしよう…?」と心細くなってしまう事がありました(苦笑)。そういう事で、出口が見えてホッとしました。
↑ホッとしたところに、横から人影が見えて、ビックリ(笑)。一瞬、「この人らはどっから来たんや!?」と思い、よく観ると人形で安心しました(笑)。
↑出口
出口の上あたりに人形が居て、穴が見えますが、説明板によると…滝間歩(たきまぶ)旧坑は、生野銀山の初期に掘られた坑道になり、鉱脈の幅だけを掘った人のやっと通れる程度…と書いてありました。