スーの旅日記

ひとり旅の日本100名城スタンプラリー、神社仏閣めぐり、その他。

篠山城 埋門跡及び石の刻印

2011-09-19 21:47:08 | 日記
二の丸側にある埋門跡です。



↑二の丸側にある石に刻印が刻まれています。それは、石垣工事に携わった大名を表す符号になります。

篠山城は天下普請(江戸幕府が諸大名に命令し土木工事を行わせる)により築いた城で、多くの大名家が動員されました。

身分や財力により割普請され、各々の大名家が競い合って築城工事に従事したそうです。時には混乱も起きたようで、それを避ける為にも目印として石に刻印を記したそうです。

説明板には「普請総奉行を勤めた池田三左衛門輝政(織田信長の重臣・池田恒興の次男)の刻印“三左之内”は埋門の外側で見ることが出来る」と書いてあったので行ってみる事にしました。



↑外側の下から観た埋門跡



↑階段を昇って近くで観た埋門跡。下から3番目の石に“三左之内”と刻印されてますが、お分かりになるでしょうか?



↑更によく分かるように石をクローズアップで撮りました。“三左之内”と刻印されています。

私はこれを観てとても感激しました!! 嬉しさのあまりに刻印を指でなぞりました。(^∀^)ノ 約400年前に彫られたであろう字と私の人差し指が合体(笑)。素晴らしい!! 歴史ロマンを感じましたわ。!(b^ー°) ここまで来れて良かったです。感謝感激!! ありがと~う。m(__)m

100名城 57番篠山城 大書院

2011-09-19 16:43:07 | 日記
↑裏手から見た大書院(復元)



↑大書院の模型

大書院は篠山城築城とほぼ同時に建てられ、京都の二条城の二の丸御殿に匹敵する建物になるそうです。明治維新後、廃城令による取り壊しの危機を逃れましたが、昭和19年1月に火災により焼失しました。しかし、古絵図・古写真・発掘調査等から基づいて復元し、平成12年3月に完成しました。



↑上段の間

最も格式の高い部屋になります。違棚、帳台構が設けられているのが特徴です。飾る施設が整ったのは慶長時代あたりからだそうです。



↑広縁


大書院の中も誰も居らず、ひとりでゆっくりと見学する事が出来ました。

受付に居る女性の方に親切に労って頂けたのは嬉しかったです。3月といっても、とても寒い日でした。寒さのあまり鼻水ズルズルでしたわ(笑)。



↑100名城 57番篠山城のスタンプゲット!! 大書院でゲットできます。


■篠山城大書院
○入館時間 9:00~16:30
○休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)、12/25~1/1の年末年始
○入館料 大人400円~

篠山城 二の丸

2011-09-13 09:02:02 | 日記
篠山城の二の丸御殿は、江戸中期頃の古絵図をもとに、御用人詰所や台所等の部屋名をみかげ石で区切り平面表示されています。




そして、二の丸には復元された大書院の建物もあります。




二の丸にある井戸




午前中にお城に来たせいか、他に観光客も居なく、お一人様で、平面に表された部屋をひとつひとつ確かめて、まったりと過ごしていました(笑)。

篠山城 本丸

2011-09-13 09:01:04 | 日記


↑本丸にある天守台です。家康公の命で天守閣は築かれていません。



↑天守台に登ると、ベンチがあり休憩出来るようになってます。



↑天守台から望む景色

篠山城の初代城主は家康公の実子である松平康重が八上城から移り、松平氏三家(松井、藤井、形原)と青山氏に引き継がれました。




↑本丸にある青山神社は明治15年5月に創建されました。家光公の養育係だった青山忠俊、篠山城主であった青山忠裕が祭神として祀られています。

篠山城に登城 その2

2011-09-04 16:18:51 | 日記
篠山盆地に築いた篠山城(別名桐ヶ城)は、西国15ヵ国20の諸大名に築城工事を分担させる“天下普請”で行われました。普請総奉行の池田輝政らが指揮を執り、人夫約8万人を動員して、わずか1年足らずで完成しました。

築城の名手藤堂高虎による縄張りはシンプルで四角形が基本になっています。




↑高虎の城に特徴的な石垣の裾と内堀の間に広くとられた犬走。






石垣マニアは石垣を観ているだけでワクワクします(笑)。

石垣の角(算木積み)は特に堪らないですね(笑)。↓



↑石垣に刻まれた刻印が下から二番目と四番目にありますが、分かりますでしょうか?