おとなのピアノ・・・
前回のレッスンで、瀧廉太郎を卒業いたしました。
思えば、緊急事態宣言の頃、「憾(うらみ)」に夢中となり、
その後、谷津矢車『廉太郎ノオト』を読み、さらに盛り上がり・・・
「憾」を終えると、「メヌエット」へと進んだのでした。
(→過去記事「はなまる♫ピアノ・瀧廉太郎『憾』」)
その「メヌエット」も、なんとか弾けるようになると・・・
生涯にピアノ曲は2曲しかない廉太郎さんですから・・・
アタクシも、卒業せざるを得ないのでございます・・・
さて・・・
「憾(うらみ)」↑は、廉太郎さんの絶筆・遺作だけあり、
こちらの想いとあいまって、聴いた瞬間から惹きつけられました。
一方、「メヌエット」は、と申しますと・・・
『廉太郎ノオト』では、こんな風に書かれています。
「廉太郎はなおも即興曲を奏で続けた。まるで舞踏のようなリズムで。
ベートーヴェンなどのロマン派の趣味を匂わせる、
即興にしては悪くない曲だ。」
この曲を聴いた教え子の女性が、即興ではなく楽譜に残すよう勧めます。
さらに「跳ねるリズムの感じがまるでひょこひょこと猫が歩いているみたいで面白かった」(265頁)とも言いました。
本当にそんな曲なんです!
「メヌエット」は、もともとヨーロッパの舞曲ですから、優雅です。
でも宮廷人が踊ると言うより、猫が跳ねるような、かわいらしいりズム。
それでいて曲調は、廉太郎さんらしく、哀愁が漂うという・・・w
余談ですが『廉太郎ノオト』で、廉太郎さんが恋心も抱く、この教え子は
ソプラノ歌手・三浦環をモデルにしています。
柴咲コウさんの二浦環として「エール」にも登場です♫
話を戻しまして・・・この曲について、わたしのピアノの先生は
「ブラームスなどの、中音域を浮き出す必要のある声部を
入れてあることが特徴」と、おっしゃっていました。
西洋音楽にふれたばかりの明治の人が、必死で学んで、
自分の中で咀嚼し創り上げた・・・そこに、慣れ親しんだ日本的情緒が
漂ってしまったということなのでしょう。
でもね~、この曲は、聴いたり、楽譜を見たりした感じよりも
弾いてみると、意外に難しいのです。
若い廉太郎さんが、「これでもか!」ってくらい、
あれこれ詰め込んじゃいましたよ、って感じです。
こんなに短い曲で、何度も転調をするし・・・
(大分県竹田市岡城にて)
ああ、廉太郎さん・・・切ないですよ・・・
「憾(うらみ)」の完成後、三ヶ月後に逝ってしまう廉太郎さん。
言っても詮無きことながら、もっと時間があったなら・・・
だからこそ・・・
廉太郎さんの2曲のピアノ曲を弾けて良かった・・・
この半年の間、本当に夢中で・・・幸せな出会いでした。
・・・これをもちまして、廉太郎さんのピアノ曲から卒業します。
全然上達しませんが、ピアノは大好き。
これからも、新しい出会いがありますように・・・
◆引用は谷津矢車『廉太郎ノオト』中央公論新社から。
また書影は版元ドットコムより使わせていただいております。