おはようございます。
本日の「秋旅ふたたび」は
茨城県笠間市の「筑波海軍航空記念館」について
どうぞ、おつきあいくださいませ。
昨年の夏、朝ドラ「エール」に先立ち、
「若鷲の歌」で知られる、霞ヶ浦の予科練の記念館へ行ってきました。
今回は、同じく茨城県内の「筑波空(ツクバクウ)こと、
「筑波海軍航空隊」の戦争遺構を見学しています。
日本最大規模で現存する遺構は、
旧司令部庁舎が、ほぼ当時のまま、
「筑波海軍航空隊記念館」として残されているのです。
・・・ということで、洋館&近代建築好きとしても見逃せない、
旧司令部庁舎の画像とともに、
こちらの歴史についても、備忘録としてまとめてまいります。
記念館では「特攻起源の地」と謳ってているわけですから、
そのあたりを中心に。
(1階は廊下だけでなく全体に簡素な印象)
大正期、ここは、ウールの増産のために
羊の飼育が行われていた、農林省の種羊場でした。
その後、北海道に羊は移動し、練習飛行場となります。
広大な80ヘクタールに及ぶ土地は
まず、昭和9(1934)年に、「霞ヶ浦海軍航空隊友部分隊」として開設、
昭和13(1938)年、「筑波海軍航空隊」として、独立しました。
こうして、羊が放牧されていた、のどかな土地は、
「鬼の筑波」と言われるほど、厳しい飛行訓練が行われ、
多くの若者を送り出していくのでした。
1941(昭和16)年12月8日、真珠湾攻撃による開戦、
このとき筑波空の教官達も参加しました。
筑波空のパイロットが、海軍の精鋭であったことが、うかがえます。
ここに「霞ヶ浦海軍航空隊友部分隊」の教官だった、
飯田房太郎大尉も、当時は空母「蒼龍」の零戦隊の分隊長としていました。
ところが、その帰路、燃料切れとなり、引き返して
アメリカ艦船に突入、自爆しました。享年28歳。
(中央の階段を上がると、司令室です)
戦局の悪化に伴い、陸海軍ともに、体当たり攻撃、
すなわち「特攻」の構想が、具体化します。
ついに、その実行が決められたのが「筑波空」だったのです。
昭和19(1944)年6月1日、司令室で「体当たり攻撃を行う兵器」の
使用をめぐり、話し合いが持たれます。
すなわちパイロットは必ず死ぬけれど、戦局を大きく変える兵器であると。
出席したのは、筑波空指令らに加え、
教官を務める海軍兵学校出身(エリート!)の若き士官です。
3日間の猶予をとると
志願者が現われ、体当たり攻撃の実行が決まりました。
同時に新兵器の開発と、体当たり部隊(通称「神雷部隊)設立が決定。
(司令室のある2階は、1階と設えが違います。
一見、簡素ながら、実は凝っているのです。)
半年後の昭和20(1945)年1月には、
日本陸海軍が全軍特攻化が決まります。
(志願者ではなくて、全軍です)
筑波空では、2月20日に「神風特別攻撃隊筑波隊」が編成されました。
上層部は、全員が特攻には反対であり、
当時の司令・中野忠二郎中佐は、上京し、海軍省で反対をしています。
「特攻は戦闘機乗りの本分ではない」と。
結局、全軍特攻化を止めることはできず、
4月20日、筑波空は、それまでの練習航空隊から、
正式に特攻隊を育成するための航空隊へと変わったのでした。
(司令室側から階段を眺めると・・・)
訓練機関は二ヶ月。
隊員は、ほとんどが20歳代前半の学徒出陣の予備仕官・・・
当初は、精鋭のパイロットである教官が志願していた隊員に、
学生だった若者を当てるとは・・・
「筑波海軍航空隊記念展」開催の折り、挨拶文として、
筑波空の元教官・木名瀬信也氏は、以下の言葉を寄せられています。
「戦争に否定的であった若者が、将来に希望を賭けて、眼前の危急に
率先挺身して逝ったことを、ぜひ記憶に止めてほしい」
(司令室内部、天井も、造り付けの棚も重厚)
昭和20(1945)年8月の終戦後、跡地は一時、学校として使われ、
その後、精神科の専門病院となりました。
現在は「県立こころの医療センター」なっています。
平成24(2012)年、映画「永遠の0」のロケ地となったことで、
この遺構が見直され・・・
現在の「筑波海軍航空隊記念館」が生まれたのだとか。
(なぜ、ここに病室が?と思ったらば、「永遠の0」のセットでした)
太平洋戦争終戦から75年余り・・・
戦争の遺構が次々と壊されていく中、貴重な存在です。
地元の方々の、ご尽力に頭が下がります。
(海軍の錨マーク付)
本記事は「司令部庁舎」の建物の画像を主にアップしつつ、
ざっくり(しすぎ!)と、筑波空についてまとめました。
戦跡をめぐる度に、いつも、そこに生きていた方々へ
想いを巡らせています。
こちらの記念館では、そういったエピソードもご紹介していました。
また、心に残ったエピソードをまとめるつもりです。
どうぞ、おつきあいくださいませ。
何よりも、ダラダラした記事に、おつきあいくださったことに
お礼申し上げます。
どうもありがとうございました。
*******************************
以下のパンフレットを中心に、現地での解説を中心にまとめています。
勘違いや間違いは、素人のことと、お許し下さいませ。
参考:筑波海軍航空隊記念館発行
「筑波海軍航空隊記念館パンフレット」改訂版