おはようございます。
本日の「秋旅ふたたび」は「かさましこ」について、
どうぞ、おつきあいくださいませ。
「かさましこ」とは、
東日本を代表する焼き物で知られる、
笠間(茨城県)と益子(栃木県)を組み合わせています。
2020年、「かさましこー兄弟産地が紡ぐ“焼き物語”ー」 として
「日本遺産」に認定されました。
(本日の画像は、「かさましこ」でいただいた食事で
それぞれの器をご覧いただいております)
今でこそ、県はわかれたものの、もともとは同じ文化圏。
(冒頭画像以下、笠間「ホテル・イオ・アルフェラッツォ」、
森のレストラン Monomiにて 撮影)
古代から、朝鮮半島の技術で焼き物を始め、
中世には、宇都宮氏の統治のもと、京都や鎌倉とのつながりの深い、
豊かな文化の地でした。
けれども、宇都宮氏は小田原・北条氏に味方したことで
豊臣秀吉に滅ぼされ・・・
江戸時代以後は、別々の道を歩むことになってしまいました。
(常陸牛のステーキ。地元産の食材をふんだんに)
時は流れ・・・
18世紀、笠間藩では、久野半右衛門 が、
質の良い粘土のとれたことから、焼き物を始めました。
その久野半右衛門の窯 で焼き物と出会ったのが、大塚啓三郎。
技術を学ぶと、益子で焼き物を始めたのです。
1000年前に、同じ技術を持っていた笠間と益子が
再び、兄・笠間焼、弟・益子焼としてつながったのでした。
明治以後も「かさましこ」は連携して、
関東の焼き物の産地として順調に成長していきます。
(朝食は洋食セットをチョイス)
ところが・・・
ふたたびの変化。
産業の発展や生活様式が変わってしまったことで、
何度も危機を迎えます。
これにより、両者の作風が変わっていくこととなりました。
益子は、昭和の初め、民藝運動の濱田庄司と出会い、
日常の中にある美を求めます。
その影響は、焼き物にとどまらず、大きく広がりました。
(以下、益子「創作旬菜じげん」にて。もつ煮込み定食)
一方の笠間は、戦後、存亡の危機に陥ると、
茨城県が「窯業の学校」を作るなど、民間と協力しながら
さまざまな努力を続けます。
やがて、どちらも、陶芸に限らず、多くの芸術家が移り住む
文化の香り豊かな街として知られるようになりました。
そんな「かさましこ」。
今では、ますます両者の連携が深められているのだとか。
(ソースカツ丼定食)
「かさましこ」・・・
この旅で、ぜひとも、買いたい品がありました。
・・・ということで、お買い物モード突入!w
続きは、またいずれ・・・
どうぞ、おつきあいくださいませ。
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本日の記事は、
「日本遺産認定 かさましこ」のチラシからまとめています。
本日もおつきあいいただき、どうもありがとうございました。