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『パトリックと本を読む』~彼岸花とともに

2020-09-27 | 2022夏まで ~本~
ミシェル・クオ『パトリックと本を読む』(白水社)を読み終えました。
著者は、大学卒業後、アメリカ南部のオルタナティブ・スクールで
教壇に立ち、そこで出会った生徒との交流を書いた本です。


わたしにとって・・・アメリカ南部は、
マーク・トウェインに、ミッチェルの「風と共に去りぬ」の舞台
アメリカを旅するなら南部だな、とあこがれの地でもありました。

でも、本の中で、ミズ・クオは、いきなり言います。

ーートウェインによれば、ミシシッピ川畔ヘレナは
川畔で「もっとも魅力的な場所」「商業の中心地」だったのに・・・

彼女が来たときには「トウェインの描写した街の面影はなかった」ーー

ヘレナの街は、経済の衰退と共に、荒れ果てていたのです。



今年、警官による黒人青年への事件を発端とし、
欧米を中心にBLM運動、人種差別への抗議運動が広がっています。

そのなかで、映画「風と共に去りぬ」にも批判があったとか・・・
高校生の頃、「風と共に去りぬ」に夢中だったので、
正直、それはやりすぎではないかくらいに、感じていました。

でも、知らないことは恐ろしい。

南北戦争で「奴隷解放」されたあと、黒人の置かれた状況は、
いっそう悪くなっていたと・・・
黒人と白人の分断は、ますます強まっていた・・・

それどころか、ミズ・クオが赴任した2000年代初頭には
アメリカの経済が悪化したことで、
黒人の地域社会が完全に崩壊してしまっていた・・・

ますます黒人のコミュニティは貧しく、負のスパイラルに陥っていた・・・

のんきな「ジャパニーズ」であるわたしは、
ゆめこれほどとは思いませんでした。

この本を読んでいて、知らないことばかりの
重い歴史に愕然としました。



・・・とはいえ、この本は、その告発ドキュメンタリーではありません。
ミズ・クオと生徒の交流の記録が本筋。
その背景が人種差別の問題なのです。

彼女の生徒・パトリックは、クラスで、一目置かれる存在でした。
おとなしく、争いを好まないけれど、ケンカの仲裁を買って出るような・・・


ミズ・クオの赴任したオルタナティブ・スクールとは・・・

「地方自治体がいわゆる不良を最初に放り込む学校...ここを脱落した子は
公教育の場から完全に追放され」ることになる学校であり、訳注「従来とは
異なるかたちで子ども達に教育を行う学校」もつけられています。

その学校で、ミズ・クオは奮闘。

二年目には、ミズ・クオに、クラスは心開き
「書くこと」「読むこと」を中心に
各自が自分自身と向きあうようになります。

そのなかでも、とりわけ熱心で、優れた力発揮するのがパトリックでした。


その年の終わり、二年の任期を終えると、
ミズ・クオは、生徒に心残しながらも、ロースクールへ進学します。

数年後、パトリックが殺人事件を犯し、
逮捕・拘置されたとの知らせが入りました。

ミズ・クオは、早速、彼と面会・・・
パトリックは、読むことも書くことも、あの頃の力を喪っていました。

それから、彼女は自分の都会での暮らしを捨て
パトリックと「読書会」をすると決めるのです・・・
取り上げた本は、「ナルニア」から芭蕉の俳句、詩、自伝・・・

七ヶ月に及ぶ日々でした・・・



ヘレナでの日々の前半は
荒れた学校での新米教師ミズ・クオの、いわば奮闘記です。

このあたりは、80年代の「校内暴力」を知る世代としては
「荒れ」の度合いが違うにしても、既視感を覚えます。
教師の成長物語としても読めるのです。


ところが・・・

それから先は・・・
ヘレナの街の黒人、いやそれだけでなく
人種差別の問題に言葉を喪うばかりです。

一方で拘置所でのミズ・クオとパトリックの二人きりの
「読書会」は言葉にあふれ・・・
後半は言葉の力に圧倒されていきます。



ジェイムズ・ボールドウィンの『次は火だ』
(わたしは知らない本)の中、
「無邪気が犯罪をなしている」から、パトリックは言うのです。

「白人が黒人の歴史を知らないってことを言っているんだろうな...
それは白人だけの問題じゃない、黒人の問題でもあるよ。

ーーおれたちは忘れたいんだ...リアルで、辛くて、ストレスだらけで、
信じられないほどひどい話だよ。
でも、乗り越えるには、それについて考えるしかない」(327頁)

ミズ・クオ自身も、台湾系アメリカ人。

アジア人へのからかいは慣れっこ、
移民であった両親が、差別されないよう、身を潜めるようにして
生きてきた姿も見ています。

島国・ニッポンで生まれ育った、日本人のわたしに、人種差別は遠い・・・
海外旅行にでかけ、ちょっと嫌な気分になる程度。
帰ってきてしまえば忘れられることです。

でも「無邪気」が引き起こす、
つまり悪気はなかったことによる問題は、身近にも多々あるのでは?・・・



・・・これが昔のフィクションならば
パトリックは出所後、ものわかりのよい雇用主と出会い、
新しい暮らしを築き、「めでたしめでたし」なのかもしれません。

でも、現実は・・・
パトリックは前科者としての差別や偏見にもさらされることになり・・・
また、不安定な状況から脱し切れていない・・・

それでも・・・それでも・・・
ミズ・クオもパトリックも、しっかり前を向いている・・・




この本を知ったきっかけは、「読売新聞」9月6日付のコラム
河合香織「伝えたいこと 書棚の中へ」でした。

河合氏は、当初、電子書籍で「パトリックと本を読む」を読んでいたものの
途中で、紙の本を買いに走ったそうです。

「母が心を動かされたところに線が引いてあり、
書き込みがなされ、付箋がはりねずみのように
貼られた本を子に残したかった」からだと書かれています。

そして、いつか、お子さんが書棚の中で、
この本を見つけ対話して欲しい、とも。


読み終わって、わたしが読んだ『パトリックと本を読む』も
付箋で「はりねずみのように」なりました。

残念ながら、対話してくれる我が子はおりませんが・・・

それでも、あの人、この人・・・お勧めしたい人の顔が
次々に浮かんでいます。

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ミシエル・クオ 神田由布子〔訳〕
『パトリックと本を読むー絶望から立ち上がるための読書会』(白水社)は
書影がなく、残念!(素晴らしい表紙です)

代わりというわけではありませんが、
画像は、今週初めに撮影した彼岸花です。

近所でも、お彼岸で出かけた父の墓参でも、
気のせいか、今年は白い彼岸花が、目だつ気がします。

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