MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2673 「第三次ベビーブーム」はなぜ幻に終わったのか

2024年11月25日 | 社会・経済

 近年、ひとりっ子が増加しているという話があるようです。

 「出生動向基本調査(2021)」によると、子どもを産み終えたとみられる夫婦(結婚から15~19年が経過)のうち、子どもが1人の割合は、19.7%。この割合は、1980年代から02年までは10%程度で推移してきたが、05年に11.7%へと微増。その後、10年は15.9%、15年は18.5%と増加し、約20年でほぼ倍増したことがわかると9月9日の毎日新聞が報じています。

 記事によれば、実際に生まれた子どもの人数を結婚当時の予定と比較すると、妻の初婚年齢が高くなるほど予定を下回る傾向がある由。この数字からは、一人っ子増加(つまり少子化)には晩婚化の影響がうかがえるというのが記事の指摘するところです。

 さて、少子化問題に詳しいコラムニストの荒川和久氏は、9月11日のニュース情報サイト「Yahoo news」に寄せた論考(『「今は一人っ子は増えていない」むしろ深刻なのは「子沢山と無子・未婚の格差」』)において、この記事の主張を真っ向から否定しています。

 記事が引用している統計(出生動向基本調査)は、あくまで子どもを産み終えたとみられる夫婦(結婚から15~19年が経過)を対象としたもの。わかりやすく言えば、50歳以上の親が持つ子どもの数のようなもので、(少なくとも)現在出産期にある若い夫婦の話ではないと、荒川氏はこの論考で説明しています。

 女性がもっとも出産をする年齢帯を25-34歳とすれば、この統計の対象者が出産をしたのは1996-2006年あたり。この時期は、まさに「本来は第三次ベビーブームがやってくる(べき)時期」であったのだが、結局のところそれは幻に終わり、今日の急激な人口減少の端緒となったというのが氏の認識です。

 それではなぜこの時期に、第二子の出産が減少したのか。荒川氏はその原因を、この直前から始まっていた経済状況の変化、バブル経済の崩壊と「就職氷河期」と呼ばれる時代の始まりに見ています。

 新卒有効求人倍率がもっとも低くなり、若者の完全失業率が急上昇した「就職氷河期」は、1995-2005年あたりまで続いた。その間、第二次ベビーブーマーであるところの当時の若者たちは、自分たちの就職や生活に汲々としていて、実際結婚どころではなかったと氏は言います。

 記事でいう(ところの)対象者が結婚・出産をする時期は、まさにこの時期に当たる。たとえ結婚して第一子をもうけた夫婦でも、この環境では第二子を産むことをためらわざるを得ない状況にあったと見るのが妥当だろうということです。

 事実、出生の統計にもそれは如実に表れている。バブル経済崩壊後の1990年代初頭から就職氷河期にあたる2005年にかけて、第一子出生率はほぼ変わらないのに、第二子以降出生率だけが激減している状況が見て取れると氏はしています。

 これは、この時期に第一子を産んだ夫婦が、以前ほど第二子以降を産めなくなっていたことを示すもの。この時期に生まれた子にひとりっ子率が高かった背景には、そうした経済情勢があるというのが氏の見解です。

 そして、記事の誤解はもう一つ。2005年以降は、「第一子<第二子」という傾向に戻っている。これは、第一子を産めば、それ以上に第二子以上を生んでいるということ。つまり、「第二子が生まれにくい」という状況は、その後も同様に続いたわけではないというのが、この論考において氏の指摘するところです。

 実際、直近において出生した子どもの出生順位別割合から、「単年ごとの出生児は何番目の子か」が計算できる。それによれば、もっとも数値が低くなったのは(氷河期のど真ん中の)2000年の1.68人。一方、氷河期が過ぎた2005年以降復調し続け、2021年には1.77人と1980年とほぼ同等にまで復活していると氏は数字を追っています。

 3人目以上の比率を計算しその推移を見ても、2022年の17%は1965年より高いくらい。令和の一人当たりの母親が産む子どもの数は、映画「三丁目の夕日」の時代と比しても大差ないということです。

 それでは、なぜ令和の今でも、生まれて来る子供の数は減り続けているのか。確かに1995-2005年あたりまで、夫婦が産む子どもの数が少ない事が少子化の要因だったかもしれない。しかし、現在は「夫婦が子どもを産んでいない」からではなく、そもそも出産の前提となる婚姻数が減っているからだと氏はしています。

 文字通り、婚姻の「母数」が減っているがゆえに絶対数としての出生数が減っているということ。今までの政府の少子化対策が的外れであるのは、今は「夫婦が子を産めない」問題ではなく、「若者が結婚というステージに立てない」問題であることをことごとく無視しているからだということです。

 よくよく考えれば当たり前の話ですが、第一子が産まれなければ第二子も第三子もないのは当然のこと。(この日本では)その前提となる「結婚」がなければ第一子も生まれないと、荒川氏はこの論考の結びに記しています。

 少子化は、あくまで「結果」として表れている現象のひとつに過ぎない。「ひとりっ子」云々を心配するより、まず「若者の無子化」の方こそ危惧すべきだとする氏の指摘を、私も(「なるほどな」と)興味深く読んだところです。