MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2302 時には我慢も必要だ

2022年11月27日 | 社会・経済

 総務省によると、10月中旬時点の速報値で、東京23区の生鮮食品を除いた消費者物価指数は去年10月の99.8から103.2に3.4%上昇したとされています。同水準の物価上昇は約33年ぶり。消費税率引き上げの影響を除くと1982年6月以来、40年4か月ぶりの上げ幅だということです。

 高騰の主な要因は、原材料価格の上昇に加えて急速な円安の影響が重なった、食料品の「値上げラッシュ」によるもの。「生鮮食品を除く食料」に関しては、去年の同じ月を(実に)5.9%余り上回っているとされています。

 もちろんこの物価高は、かねてから政府・日銀が目標としてきた2%を大きく上回るもの。しかし、それでも日銀に、緩和政策の修正に動く気配はみられません。

 実際、10月28日に日銀が公表した新しい物価見通しによれば、2022年度の消費者物価上昇率は(前回7月の2.3%から上方修正はされたものの)2.9%とされています。さらに、続く2023年度は1.6%、2024年度は1.6%と2%を下回る見込みとされており、今後も粘り強く経済の刺激を続け、賃上げの本格化を後押しするということです。

 一方、政府は、物価高などに対応する「総合経済対策」として、国費の一般会計ベースで29.1兆円、民間投資などを含めた事業規模で71.6兆円の財政出動を行うことを公表し、補正予算案を今国会で成立させる方針を固めたとされています。

 経済対策の柱は、エネルギー価格の高騰を踏まえた(一般家庭で月5000円程度とされる)電気・都市ガス料金への支援となるようですが、さらに石油元売り各社に支給している補助金の期限延長や、妊産婦への10万円相当の経済的支援などが挙げられています。

 さて、物価が上がったので国民生活が厳しくなった。だから税金を事業者に渡して市中の物価を上げないようにしてもらおう…というのは確かにシンプルで分かり易い話。政府の「お慈悲」に感謝する有権者もいるかもしれません。

 しかし、現在の日本の物価高は、(マッチポンプともとれる日銀の金融政策も含め)構造的な要因によるものとも言われています。世界的なインフレ基調が続く中、(その場限りで終わってしまう)このような巨額な財政出動をいつまで続けていられるというのか。

 こうした現状に対し、10月28日の日本経済新聞に国際通貨研究所理事長の渡辺博史氏が『値上げに「我慢のお願い」も必要』と題する論考を寄せているので、この機会に紹介しておきたいと思います。

 食品やガソリンなど物価上昇への対応が課題となっている。ガソリン価格を低位にとどめるため政府は補助金を出し続け、電気やガス料金についても激変緩和のための補助を講ずることにした。しかし、これらが本当に正しいことなのかどうか(そろそろ)改めて考えるべき時ではないかと、氏はこの論考で問いかけています。

 価格上昇が政府自らの政策の誤りでもたらされたならば、おわびの念をこめて一時的に財政支援をすることはありえなくはない。しかし国際市場で決まる原油・エネルギー価格の上昇について、政府がいつまでも財政資金で低価格を維持するのが正しいとは思えないというのが氏の認識です。

 原油価格は、米国やサウジアラビアのような政府ですら一国の影響力だけで決められるものではない。そうである以上、国際市場での取引価格の上昇は、消費者である国民に受け止めてもらう必要があるということです。

 食品の値上がりも、ロシアのウクライナ侵攻などによる国際市場価格の上昇に起因しているところが大きい。渋々であっても国民に受け止めてもらうしかないと氏は言います。

 国民が喜んで受容することはありえなくても、費用負担の増加か消費の削減のいずれかに努めてもらうしかない。政府は国民の福祉の維持に努めることが仕事であるにせよ、手法を誤っては結果的に中長期的な対応力を失う。本当に大変な事態が起きた時に「必要な力」を失っていることは、絶対に避けねばならないということです。

 (政治的に厳しい局面に立たされてでも)政府は、必要な時には、消費者であり有権者でもある国民に対し、我慢をお願いすることになってもやむを得ないと覚悟すべきだというのが、この論考において氏の指摘するところです。

 もとより、価格上昇で極度に困窮する層に対する支援措置は必要であろう。しかし、それはターゲットを見極めて行うべきだと氏は言います。

 供給不足状態にあるバランスを回復するためには、「供給の増加」と「需要の縮減」の両面をまず考えねばならない。電力などは、この冬にも十分な供給を確保できない極めてシビアな状況にあるわけで、まず必要なのは「消費の削減」だろうということです。

 行政や業界は「無理のない範囲で節約を」とのメッセージを発しているが、本当に必要ならば「無理のない」などといった形容句を付す必要があるのか。政府としては、正面から「節約」をお願いするべきだというのが氏の見解です。

 本当に大変であり、今年のみならず来年以降も不安定な供給体制が続きそうなら、事業者や行政はその緊要度を消費者である国民に正確に伝えるべき。言葉を「優しいオブラート」でくるむことが、(必ずしも)事態をよい方向に導くとは限らないということです。

 さて、価格が上がらなければその緊急性や緊張感が国民に伝わることはなく、市場の機能も働かなくなる。公金の投入によって直接価格を操作し痛みを感じなくすることは、結果として市場を混乱に導き需要の縮減にもつながらないのは自明です。

 思えば、1973年のオイルショックの際、「節電」を求める政府に従い、夜の東京の街からはネオンは消え、深夜のテレビ放送は中止されました。当時の日本人はそうした痛みを伴う努力を重ねることで、「省エネ」という新しい技術や文化を生活に刻み込んでいったと言えるでしょう。

 値上がりで大変だ。政府が何とかするべきだ。そうした声に応えるのが政治の役割だという考え方もあるのでしょうが、選挙目当てにおカネをばら撒くだけでは解決しない問題もあるのだろうなと、渡辺氏の論考を読んで私も改めて感じたところです。



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