今年の夏、久々に大学時代からのつきあいの悪友(男性)と旅行に行きました。車で北海道をぐるっと回ったのですが、その時驚いたのは、彼が記念写真に(いつもと言ってよいくらい)自分を写しこんでいること。
「自撮り」というのでしょうか。昭和新山や小樽の運河、細川たかしの銅像などをバックに、スマホを持った手を思いっきり伸ばしてパチリと一枚。現在中学生と大学生の二人の子供を持つ彼によれば、どうやら世の中ではそれが普通の家族のお作法だということです。
私も写真は撮る方なのですが、(顔に自信がないせいか)自分が映り込んでいる写真を撮った記憶がほとんどありません。カメラを手にしても、撮るのは風景や花や動物ばかり。以前、家人から「(万が一の時に)遺影に困らないよう、年に1枚くらいは自分の写真を残しておいて」と言われたのを思い出します。
スマホが普及するようになって既に10年余り。(そう言えば)SNSを覗けば老若男女に関係なく、楽しげな自撮りの写真が何十枚と並んでいます。「習慣」と言ってしまえばそれまでなのでしょうが、日本人はいつから(こんなにも)自分の写真を公衆の面前にさらすことに抵抗がなくなったのか。
そんなことを感じながらLINEで送られてきた写真を眺めていたところ、(今から少し前の)10月8日のYahoo newsに、コラムニストの荒川和久氏が寄せていた「自己肯定感がない人に多い「自分の写真の顔が嫌い」という現象の正体」と題する一文を思い出しました。
突然だが、皆さんは自撮りの写真を撮るだろうか?撮る人、撮らない人、様々だと思うが、女性と男性のインスタグラムを比較すると、おもしろい違いが見えると氏はこのコラムに綴っています。
女性のインスタには、どこに行ったとしても、何を食べたとしても、多くの場合自分が写っている。顔とは限らず手や足だけの場合もあるが、(いずれにしても)どこかに必ず自分をフレームの中に写しこむ傾向があると氏は言います。
一方、(氏によれば)男性の場合、自分が食べた(大盛ラーメンなどの)写真や自分が行った(秘境などの)場所の写真、スポーツカーやバイクなどの趣味や(希少な)愛用品の写真などが多く、自分の姿はおろか人を写した写真すら少ないのが普通だということです。
これは、女性は「写真の中にいる自分」を承認してほしいのに対し、男性は、「自分の行動」を認めてほしいから。つまり、女性が承認してほしいのは自分そのものであり、男性が承認してほしいのは自分の成し遂げた仕事だからだと氏は話しています。
これはある意味、男性が「自己有能感」に支配されていて、「何かを成し遂げていない自分は否定しがち」という自己肯定感とも合致する。何かを成し遂げた自分は誇らしげに自慢したい反面、何も成し遂げていない、単なる日常の自分には価値を置いていないからだということです。
そのためか、男性の多くは、何か特別な達成でもない限り写真に自分の姿を入れたがらない。また、女性に比べて自撮りもしない。人知れず自撮りをしているかもしれないが、そもそも、自撮りに限らず、自分の写真の顔があまり好きではないというのが氏の指摘するところです。
それではなぜ、(男性は)自分の顔が嫌いなのか?実は、「自分の写真が嫌い」ということと自己肯定感とは相関があると氏は言います。
これは別に、男性の容姿の造作の問題ではない。傍から見ると「イケメン」でも、自分の顔が嫌いという人はいるし、逆に「そうでもない」容姿でも自分の顔が嫌いではない人は多い。実は「自分の写真が嫌い」と感じるのは、容姿の良し悪しではなく、「自分の写真の顔にあなたが慣れていない」からだというのが氏の認識です。
さて、人が(見た目の)好き嫌いを決める要素の一つに、「ザイオンス効果(単純接触効果)」というものがあるそうです。ザイオンス効果とは、1968年に、アメリカの心理学者ロバート・ザイオンスが発表した心理現象のこと。同じ人や物に接する回数が増えるほど、その対象に対して好印象を持つようになるということです。
音楽にもそれは当てはまり、聞かせれば聞かせるほど人はその曲が好きになる。テレビで繰り返し流されるCMとのタイアップでメガヒットが生まれるのは、接触機会が増えることで無意識に好きになってしまうためだと氏は説明しています。
氏によれば、当然、恋愛感情にもザイオンス効果は影響するということです。最初、なんとも思っていない相手でも職場などで毎日顔を合わせているうちに好きになってしまうのはよくあること。「美人は3日たてば飽きる」などとよく言いますが、それほどの美人でなくても、毎日眺めていればそれなりに好ましく思えてくるのはそういくことでしょうか。
さて、話は戻って、なぜ男性は自分の顔が嫌いで、なぜ女性はそうでもないのか。一番大きな理由は、男性は自分の顔を見慣れていないからだと氏はしています。一方、女性は日々の化粧やお肌の手入れなどで鏡を見る機会が多く自分の顔を見慣れている。要は、どれだけ自分の顔が身近に感じられているかの差がそこに表れているということであり、毎日じっくり見ていれば「まあ、こんなもんだ」と認められるようになるというのが氏の見解す。
「自己肯定感」などというと大げさに構えがちだが、その程度のことでも少しは感じられるようになる。(本当に)有能である必要もないし、「俺ってすげえ」「私ってかわいい」などと思わないと得られないものでもないと氏は言います。
「自己受容」などと難しい概念なんか理解しなくていいし、「自分を愛するようになる」とかいうわけのわからない話をわかったふりする必要もない。自己肯定とは、自分のことを肯定も否定もせずに、ただただそのままの自分に寄り添うことだということです。
自分を遠ざけるのではなく、自分に親しむこと。そうした毎日の繰り返しの中で、自分を客観視することが可能になるということでしょうか。言われてみれば私自身、自分の顔はイメージでしか捉えていないし、日々の生活の中で鏡を見ることもほとんどありません。もしも、街で自分(もしくは自分とうりふたつの人)に出会っても、きっと気が付かないことでしょう。
データで見ても、日本の男性の「幸福感」は最低の部類に入るということ(2020年OECD「幸福度白書」)。男性と女性との比較でも、日本は女性の方が幸福感が有意に高い珍しい国だということです。
幸せになれない日本の男たち。自己肯定感の低い男性諸君は、まずは現実の自分自身に興味と愛着を持つことから始めてはどうか。次回ラーメン二郎に行った際には、麺だけではなく、自分の顔も一緒に撮ってみてはどうだろうとこの論考を結ぶ荒川氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。
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