今からおよそ1年前の2月2日、日本経済新聞は人気の経済コラム「大機小機」に『一億総貧困化に歯止めを』と題する一文を掲載しています。
数年前、「一億総活躍」政策が政権の目玉政策としてとして掲げた際、政府は「誰もが活躍できる社会」を実現することで国内総生産(GDP)600兆円を目指すとしていた。しかし、現実はどうか。600兆円への道のりは遠く、世界に占める日本のGDPシェアは30年前の18%から6%程度に低下し1人当たりのGDPも世界24位にまで後退。平均賃金は先進国で最低レベルにまで落ち込み、もはや「一億総活躍」どころか「一億総貧困化」の有様だとコラムは辛辣です。
日本企業の低収益性の要因は、例えば一つの産業に参入企業が多すぎること、いまだに一括採用・終身雇用が主流で労働市場の流動性が乏しいこと、商品やサービスに独自性が乏しくコモディティー競争に陥りやすいこと、などがあるとしたうえで、最も大きな原因は「一般国民の精神構造かもしれない」と綴っています。
それから約1年の月日が流れ2022年も年の瀬を迎えた現在でも、状況が改善を見せているという話はつとに聞きません。メディアは「貧しい日本」「貧困化する日本人」といった記事によって読者・視聴者の危機感を煽り、人々は「それは大変だ」と財布のひもをいよいよ締めるといった悪循環すら生まれているように感じられます。
師走の日本を覆うそうした(寒々とした)状況を踏まえ、12月29日の「DIAMOND ONLINE」にノンフィクションライターの窪田順生(くぼた・まさき)氏が『「貧しいニッポン」報道が、日本の貧困化を加速化させてしまう皮肉なワケ』と題する論考を寄せているので、その一部を小欄に残しておきたいと思います。
景気の悪い話で恐縮だが、この1年、日本の貧困化に警鐘を鳴らすようなニュースが目に見えて増えてきている。多くのメディアや専門家の間で、「貧しいニッポン」という問題がいよいよ共通認識になってきたとと氏はこの論考に記しています。
特に日本人は先進国の中でも、異常なほどテレビや新聞を信用しているという国民性。報道に接して、「そっか、日本は貧しいのか」と納得するのはいいとして、問題はその次の行動にあると氏はしています。
海外であれば、政権に不満をぶつけ、クーデターや暴動が起こるかもしれない。しかし、日本人は「政権をぶっつぶせ」といったクーデターにはまずならない。では、何が起こるかといえば、お上に向かって「国が面倒を見ろ」と喉をからして叫ぶことだというのが氏の認識です。
要するに、減税、補助金、バラマキなど、とにかく政府が金を国民に配って、貧しくならないように保護をしろという「民意」が強くなっていく。政治家のビジネスモデルは、基本的にそのような「民意」をくみ取り票につなげていくことなので、自ずと「消費税をゼロに」「積極財政」を掲げる人がポコポコと選挙で当選していくと氏は説明しています。
「バラまきの何が悪い!今の日本に必要なのは増税ではなく積極的な財政出動だ」と主張する人も多いようだが、現実に日本ではこの30年間、1000兆円以上の政府の負債を増やしても「失われた30年」から脱することができなかった。日本経済が成長しなかったのは、(いくら補助金を積み上げても)肝心の賃金が上がらなかったからだというのが氏の見解です。
そして、この問題は、大企業の春闘やベアがどうしたとかいう話はほとんど関係がないと氏は言います。原因は、日本人労働者の7割が働いて、全企業の99.7%を占める中小企業の賃金が、この30年間ほとんど上がっていないところにある。では、なぜ上がらないのかというと、日本政府が中小企業を「保護すべき弱者」として過剰に甘やかしてきたからだというのがこの論考で氏の指摘するところです。
厳しい言い方になるが、各種優遇策や補助金など手厚く保護されてきたことで、日本の中小企業の多くがまるで生活保護を受けている経済的困窮者のようになり、成長・拡大をするように追い込まれなくなってしまった。もちろん、中には競争力があって成長をしていく中小企業もあるが、それはほんの一部で、大多数の中小企業は「現状維持型」。なので従業員の賃上げができないのだということです。
なぜこうなるかというと、株主など外部の厳しい目にさらされることがないので、オーナー社長が好き勝手に経営ができてしまうから。自分が乗る高級車を社用車扱いにしたり、働いていない妻や子どもに役員報酬を払ったり、やりた放題できてしまうからだと氏は言います。
そんな「現状維持型の低賃金企業」があふれる日本の中小企業に、大量の補助金がバラ撒かれたところで、経済が成長するわけがない。これは、コロナ禍で飲食店にバラまかれた協力金が経営者の懐に入るばかりで、店で働くパートやアルバイトにほとんど還元されなかった構図と同じだということです。
この日本で30年にもわたり繰り返されてきた、こうした「負のスパイラル」。労働者の賃金よりも経営者の身分保障を優先してきた結果、格差が広がって消費が冷え込み、それを受けて企業は賃金を低く抑える…という悪循環が続いてきたというのが氏の見解です。
本来はこれを断ち切らないといけない。しかし、「貧しいニッポン」報道があふれかえるとそれも不可能になると、氏はここで改めて指摘しています。
「貧しい」と言われてパニックになった群衆は、「貧しくならないようにもっと金をよこせ」と減税やバラマキを掲げる政治リーダーを求めていく。金をバラまいて経済が強くなった国など世界のどこにも存在しないが、貧しくなるという恐怖に支配されて、冷静な判断ができなくなってしまうということです。
そして、恐らくはこれから先も、この流れは食い止められない。それは80年前、当時の軍部のエリートや、政府の人間が「アメリカと戦争をしたら100%負ける」という分析をしていたにもかかわらず、日本は無謀な戦争に突入したという負の歴史が物語っていると氏はしています。
この件に関して、後世の日本人は「軍部が暴走した」「政治が悪い」の一言で片付けた。しかし、実は当時誰よりも戦争を望んでいたのは国民自身であり、「アメリカを叩きつぶせ」と熱狂していた大衆に、メディアや政治、そして軍部も迎合していったということです。
こうした歴史の教訓に学べば、どうやら「貧しいニッポン」に続く道を避けることは難しいだろうと、氏はこの論考の最後に綴っています。「失われた」と言われる30年間、何とか先進国としての地位とプライドを保ってきたわが日本ですが、いよいよ来年は「貧しい国なりの生き方」を模索していかなければいけないかもしれない…そうこの論考を結ぶ氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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