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つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

Museum of American Heritage

2011-07-31 07:07:30 | 日記
散歩の途中で、小さな博物館を見つけた。Museum of American Heritage.
http://www.moah.org/index.html
住宅街の中にあって金・土・日の昼間5時間だけ開いているので、これまで何度も通ったところにあるのに気が付かなかったのだ。
古いちょっと広い家の中を展示室にして、昔の家具やら道具やらを置いてある。面白かったのは、1920年代のガスと薪併用のキッチンコンロで、ボランティアのおばあさんが解説してくれた。子供部屋には懐かしいオモチャたち。書斎には、年代物の机と椅子、書棚にはこの部屋の主人の蔵書が並ぶ。Victorian Americaの科学技術、として当時の電気装置や飛行機(の模型)や時計を並べた部屋。表の部屋は、昔の雑貨屋を再現してある。花や果樹や野菜の植えられた庭先のガレージには、クラシックカー。その隣は、印刷工場の道具たち。
日本にも、こうした地域の歴史を伝える小さな博物館は各地にあって、農具などを展示してあったりするが、中産階級の家庭が集まるここPalo Altoの歴史的遺産たちは、やっぱりミドルクラス風だ。
じつはこの博物館の向かいには、Palo Alto History Museumと書かれた建物があって、でも開いてはいなくて荒れた様子だった。で、この街では歴史が顧みられなくなっているのかとちょっと寂しかったのだが、向かいに新しいのができていたのだ。
毎日のようにアパートの近くを散歩すると、何かと発見がある。明日は何が見つかるだろう。

 

クルム伊達公子の試合を見た!

2011-07-28 17:22:54 | 日記

Stanfordのテニスコートでは、今週、Bank of the West Classicというトーナメントをやっていて、シャラポワやS.ウィリアムズ、クルム伊達公子などが出場している。
という話を昨日聞いて、今日、クルム伊達の試合がある、というので、早速見に行った。
夜の試合は、7時から。まずドイツの選手とオーストラリアの選手のシングルスがあった。初めは一方的かと思ったら、接戦になって見ごたえがあった。伊達選手のダブルスはその後で、もう9時になっていた。
スロバキアのCibulkova選手とのペアで、日本の青山・藤原組と対戦。第一セットはクルム伊達組がとって、難なく勝つと思ってたら、どんどん青山・藤原組の動きがよくなって、1-1になり、結局10ポイントマッチで負けてしまった。
でも、クルム伊達の動きはほんとに無理がなくて、上手なコースをきれいに決める。たしかに、テニスを楽しんでる!
私たちは「エースをねらえ!」の世代で、若いころに伊達公子の活躍ぶりをなんとなく耳にしていたが、カムバックしてからの活躍ぶりには、とても励まされる。
プロテニスの試合を見たのは初めて。チケットの$64は、中身を考えれば高くなかった。

ゲイ・カップルの結婚式

2011-07-26 00:41:54 | 日記
ニューヨーク州で、同性婚を認める法律が通り、24日から発効した。これを受けて、長年、正式な結婚のできなかったゲイ・カップル(こちらでは女性の同性愛者にもこの言い方を使う)が続々と結婚登記した。彼女たちや彼らが喜びに震えている様子が、この2,3日、テレビで頻繁に映し出されている。
おそろいの盛装で、ピースマークを作って笑顔でテレビに映るゲイ・カップルたち。晴れの日の服装は、そろいのタキシードあり、ドレスあり、パンツルックあり、といろいろだが、「男性風」と「女性風」の組み合わせのカップルより、おそろいの女性用の盛装のレズビアンカップルや、男性用の盛装のゲイ・カップルが圧倒的に多い。(ついでも体型や雰囲気も双子のように似ているカップルが多いのはなぜだろう)
ここまで来るには、もちろんアメリカ社会でも同性愛が長く虐げられてきた歴史があるわけだが、テレビに堂々と顔を映して喜びを語っているたくさんのゲイ・カップルを見ていると、やはりこの社会の包容力の大きさのようなものを感じてしまう。
各人がそれぞれの生き方をすることを、それが自分とは異なっていても認めて尊重することを、コンセンサスとする社会。アメリカ社会はそこへ向けて、また一歩前進した。
日本でも、ゲイ・カップルが堂々とテレビに出て、のびやかに暮らせる日が、早く来てほしい。

なでしこジャパン優勝! など

2011-07-19 00:15:16 | 日記
女子ワールドカップで「なでしこジャパン」がアメリカチームを破って優勝した! Congratulations!
こちらでは日曜の昼の試合だったが(アメリカに合わせた試合時間だ)、事前の空気ではアメリカの優勝は当然で、決勝戦の相手がどこかもあまり関心なし、「え、日本なの?」という調子だったという。でも試合が進むにつれて「なでしこ」の頑張りに感心・感動し、勝負がついたときには、サンフランシスコ街頭の大スクリーンを見ていた人たちも日本の優勝を祝う雰囲気だったとか。
たしかに、劣勢をはねのけた「なでしこ」の粘りはすごかった。最後の沢のゴールやPK戦では神がかっているようにすら感じた。私も待ち構えてライブで応援し、ピンチには思わず祈ってしまった。こんな気持ちでスポーツの応援をしたのは初めてだ。
この間、震災で痛めつけられている上に、先頭に立って復興に努力すべき政治家たちのあまりの品性のなさや混乱ぶりをいやというほど見せつけられて、日本の希望は、逆境の中で頑張って結果を出している「なでしこ」にかかっているような気分だった。先日一時帰国した時、友人が「地震の直後は日本人の対応に誇らしくすら感じたけれど、最近は腹が立ったり情けなかったりすることばかり」と言っていたが、同感だ。
八方ふさがりの中で、スポーツに希望を託すとは、敗戦後の廃墟の中で「フジヤマのトビウオ」古橋広之進選手(水泳選手、のち日本大学文理学部体育学科名誉教授)の活躍に勇気づけられた半世紀前の日本人たちも、こんな気分だったのだろう。そしてあらためて、高度経済成長以来これまで、ここまで追い詰められた気分になる必要なく生きてこられた日本社会のさいわいを思った。アメリカの人々の「日本チームは震災で大変な中で頑張ってんだから、今回は勝たせてあげていいじゃん」といったような余裕と寛大さは、この間までの日本にもあったものだ。今、わたしたちは、そんな場所にいるのだ。
夜、ネットで原口一博元総務相と佐藤優氏の対談を見て、「でも、震災でやられた経済がこれだけ回復してきたのは、みんながひどい世の中だと思いながらも、黙ってしっかり働いているからだ」という発言に深く共感した。これがアメリカなら、あるいはほかのどこかでも、「ばかばかしい、もうや~めた」という人がもっと多いのではないか。

今回はカリフォルニア滞在に関係ない雑感風だが、ついでにもう一つ。
震災への国外からの義捐金は、台湾からが一番多くて200億円を超えている。台湾では「日本の被災者のために、それぞれが自分の一日の収入分を寄付しよう」という呼びかけがあって、皆がこれに応えた結果だという。小学生も一か月のおこづかいの30分の1を寄付したそうだ。植民地支配責任などの議論以前に、こういうことは日本の多くの人が知っている必要がある。

バークレー(UCBerkeley)

2011-07-15 23:41:57 | 日記

バークレーに行ってきた。サンフランシスコ湾の対岸にあるカリフォルニア大学バークレー校は、スタンフォードと並ぶ西海岸の有名大学で、私の研究分野でも多くの成果を挙げている。それにもまして、バークレーは1960年代のアメリカの反戦運動の拠点となり、批判的な知識人のつどう自由な雰囲気の街として有名なところだ。私は1990年代の後半、一日だけバークレーを覗いて、そうした自由で創造的なエネルギーを街のあちこちに感じた。
ところが、今回久しぶりに訪れたバークレーでは、そういった雰囲気はほとんど感じられなかった。街並みはおとなしく、さまざまなアートがあちこちで自己主張していることもなければ、露天商もほとんどいない。ショックだったのは、カフェでも事務所でもトイレに鍵がかかっていたことだ。必要なときにはそこの人に言って鍵を借りる。一般に治安のよくないアメリカでも、バークレーは特に最近治安が悪いので、そうしないと危険なのだという。Stanford=PaloAltoは、アメリカの中でもとりわけ安全で、そんなことはないので驚いた。もちろん、バークレーに暮らす人たちの中には、自由な批判精神は生き続けていると思うが、それを表面に出せないアメリカ社会の現状にため息が出る。
バークレーでは、少し前にできた新しい東アジア図書館を見に行った。新しい東アジア図書館は、シンプルな設計だけれどアジアのアートが飾ってあったりして落ち着ける場所だ。全面開架で、図書は日本語・中国語・ハングルに若干の英語の本が一緒になって分類ごとに並べられている(ちなみにStanfordの東アジア図書館は言語別に配架されている)。昔のバークレーの東アジア図書館は、漢籍などを見て伝統的な東洋研究をする雰囲気もいくらかあったような記憶があるが、新しい図書館は、より機能的でモダンになっている。半日図書館にいただけだが、それぞれの言語の司書さんが頑張って本を整備している印象を持った。バークレーに立派な東アジア図書館ができて、今後のアメリカの東アジア研究のさらなる進展を期待しよう。
夕方、日本からの派遣研究者の会合があって、さまざまな分野の方たちと話す機会があった。いろいろなネットワークをつないでいきたい。
(写真は東アジア図書館 C.V.Starr East Asian Libraly)


 

久しぶりの東京で

2011-07-09 00:29:39 | 日記
一時帰国して2週間。明日はまたカリフォルニアへ向かう。久しぶりの日本での雑感など。
二か月半ぶりの東京は、予想どおり、蒸し暑く、節電のために薄暗い。特に暗さが印象的なのは駅構内で、蛍光灯が半分ほども外してある。でもまあ、暗くてもべつに問題はない。3・11以前の街がどんなに明るかったかは、もう思い出せない。職場では、廊下消灯のお達しで、私の部署の廊下は窓がないので真っ暗。正直、これはできれば半点灯にしてほしい。とはいえそのような不便や小さな理不尽にも、皆もう慣れている感じもある。それにしてもカリフォルニアのからっとした気候とは大違いの蒸し暑さ!
例年、この時期の大学は、そろそろ前学期開始以来の疲れが出てきて、気候も悪くてつらい季節だ。今年は加えて震災以来の疲れと節電で、皆が例年以上にくたびれていないか心配だ。どうか、無理をせずに過ごしてほしい。
政治の迷走ぶりはますますひどさを加えている。任命されたばかりの災害復興担当相の被災地の神経を逆なでする発言と交代劇、それに原発再開のための安全確認をめぐる方針のブレ方には、政治家の質の劣化はここまでひどいのか、と改めて思わされた。そうした中で、昨日、文部科学省予算から配分される予定の今年度の科学研究費が当面70%しか支給されず、今後の対応は不明、と聞かされた。残り30%をあきらめることは覚悟したが、そのお金は自然エネルギー開発の研究費に充てるのか、東北地方の学校の再建に使うのか、一般的な復興財源に回されるのか、全くわからない。東北大学では壊れて建て替えることになった建物もあるというし、予算が必要なのはわかる。が、きちんとした説明なしに、予定の研究費が配分されないのは約束違反で、震災があったからといって、そんなルール無視が通ってよいとは思えない。政治を見ていると、日本社会のある部分が液状化して無責任なルール違反がまかり通るようになってきている気がするが、それがわが身にも及んだようだ。文句を言わず我慢しつつ粛々ときちんと仕事をしている人たちが馬鹿を見ることがないようにと願う。
今回の2週間の一時帰国の間に、しばらくぶりの関西に行こうか、あるいは一日とにかく被災地を見に行こうか、考えたけれど結局ずっと東京にいた。聞くところでは、関西では節電は議論だけのことで、今のところ3・11以前と暮らしに変わりはないらしい。東北では、場所によっていろいろなのだろうが、やはり日々の生活がとても大変なようだ。それだけ生活実感の異なった人たちが、ともすればその自覚なしに交流しているのも何とも言えない。
久しぶりに家族の顔を見て、行きつけの魚料理屋でおいしい魚なども食べてうれしかったが、そうじて日本の様子はパッとしないこと甚だしい。まもなくまたカリフォルニアに戻る。歴史家も質が劣化した、といわれないよう、しっかり研鑽に励むこととしよう。