先に、このブログで、「尖閣諸島は、(19世紀半ばまで)歴史的にはどちらの領土でもない無人島だった」(大意)ということを書きました(7月20日「尖閣諸島問題の歴史的背景」)。これは歴史家としての私の見解ですが、しかし中国政府は同じようには考えていません。
中国政府の主張は、簡単にいえば、「明代から中国の歴史書には釣魚島(尖閣諸島)が出てくるから、昔から中国の領土だ」というものです。史書で存在が確認できればわが領土、なんてことが通れば、古代中国の歴史書に名前の出てくる土地は、東南アジアであれ、日本であれ、中国領になってしまいます。そんなバカな!? と普通は思うのですが、中国の伝統的な歴史観は、「天下ははみな、天命を受けた中国皇帝の(本来)統治すべきところ」というものですから、このような中国政府の主張は、中国の人々の歴史観からすると予想されるほどには違和感のないものです。
日本政府は、「尖閣諸島は、明治以後、無主地であることを確認して、日本政府が統治下に置いたから日本の領土である」(大意)と主張しています。無主地は先に取った者のモノ、という近代国際法の原則に則ってです。しかし中国人にとっては19世紀末以来の近代とは、中国の領土が帝国主義列強によって併呑・奪取・侵略された屈辱の時代です。彼らには、近代国際法なんて列強が自分たちに都合のいいように決めたルールでしかない(これはある意味正しい)、としか思えません。したがって、尖閣諸島は日本の領土という日本政府の主張は、中国としては承認できない、となります。
そしていうまでもなく近代の列強による中国侵略の最大のものが日中戦争であり、中国は膨大な被害を受けています。
このような中国の歴史観からみると、「釣魚島(尖閣諸島)は中国の固有の領土であり、日本が近代に入って不法に強奪したものだ」という中国政府の主張は、多くの中国人の納得するものだと考えるのが自然です。普通の中国人は、暴力を伴った反日デモには賛成しなくても、尖閣諸島は中国領だと考えている、と思っておく必要があります。(もっとも、あの島々はほぼ無人島だったので、こうした議論は日中どちらにとっても極めて観念的なものでしかないですが。アルザス・ロレーヌが自国領かどうかを争った仏独のような切実性はありません。)
私はべつに中国政府の主張に賛成しているわけではありません。ただ、中国人(冷静な知識人を含む)の常識的思考法からみて、この間の中国政府の主張は正当だと多くの中国人が受け止めているだろう、と知っておくことは、この問題を考えるにあたっての前提でしょう。
これらを踏まえたより長期的な視野に立った対応が、日本側(官民ともに)に求められます。
中国政府の主張は、簡単にいえば、「明代から中国の歴史書には釣魚島(尖閣諸島)が出てくるから、昔から中国の領土だ」というものです。史書で存在が確認できればわが領土、なんてことが通れば、古代中国の歴史書に名前の出てくる土地は、東南アジアであれ、日本であれ、中国領になってしまいます。そんなバカな!? と普通は思うのですが、中国の伝統的な歴史観は、「天下ははみな、天命を受けた中国皇帝の(本来)統治すべきところ」というものですから、このような中国政府の主張は、中国の人々の歴史観からすると予想されるほどには違和感のないものです。
日本政府は、「尖閣諸島は、明治以後、無主地であることを確認して、日本政府が統治下に置いたから日本の領土である」(大意)と主張しています。無主地は先に取った者のモノ、という近代国際法の原則に則ってです。しかし中国人にとっては19世紀末以来の近代とは、中国の領土が帝国主義列強によって併呑・奪取・侵略された屈辱の時代です。彼らには、近代国際法なんて列強が自分たちに都合のいいように決めたルールでしかない(これはある意味正しい)、としか思えません。したがって、尖閣諸島は日本の領土という日本政府の主張は、中国としては承認できない、となります。
そしていうまでもなく近代の列強による中国侵略の最大のものが日中戦争であり、中国は膨大な被害を受けています。
このような中国の歴史観からみると、「釣魚島(尖閣諸島)は中国の固有の領土であり、日本が近代に入って不法に強奪したものだ」という中国政府の主張は、多くの中国人の納得するものだと考えるのが自然です。普通の中国人は、暴力を伴った反日デモには賛成しなくても、尖閣諸島は中国領だと考えている、と思っておく必要があります。(もっとも、あの島々はほぼ無人島だったので、こうした議論は日中どちらにとっても極めて観念的なものでしかないですが。アルザス・ロレーヌが自国領かどうかを争った仏独のような切実性はありません。)
私はべつに中国政府の主張に賛成しているわけではありません。ただ、中国人(冷静な知識人を含む)の常識的思考法からみて、この間の中国政府の主張は正当だと多くの中国人が受け止めているだろう、と知っておくことは、この問題を考えるにあたっての前提でしょう。
これらを踏まえたより長期的な視野に立った対応が、日本側(官民ともに)に求められます。