つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

帰国

2012-03-22 14:51:50 | 日記
トロントから帰って三日で、あっという間に帰国の日になった。
大地震から一ヶ月後の4月11日にカリフォルニアにやってきて、二度の一時帰国を挟んで一年、正味でいうと9ヶ月ほどのカリフォルニア滞在だった。
初めての欧米での長期滞在で、なすべきことは非常に多く、あっという間の一年だった。自分の研究の資料調査や原稿書きだけでなく、初めてのアメリカ社会とアメリカの学界の状況を知り、英語をいくらかでも上達させ、たくさん友人を作り、あちこち見て歩くこと・・。一年の時間はあまりに短く、一体何が出来たのだろう? と考えると心許ないが、自分の中で日本や中国だけでなく、アメリカ-具体的にはカリフォルニアのスタンフォードという軸がもう一つ出来たことは間違いない。成果はおいおいに出てくるということにしておこう。
明日日本に着いたらすぐに卒業式で、息つく暇もなく来年度の仕事が始まる。楽しかった時間は終わって忙しい毎日が始まるが、ここで知った世界をしっかり自分の中にもって暮らしていきたい。
このブログは、基本的にサバティカル中のつもりで作ったが、人々への発信の一つのツールとして、この後も(若干装いを変えるかもしれないが)維持しようと思っている。もっとも更新のペースは落ちることになる可能性が高いけれど。
ご愛読ありがとうございました。もしよかったら、今後もときどき覗いてみてください。
(じつは震災一周年の記事をまだアップできていません。近日中にアップします)


AAS大会(その3)-パネル本番!

2012-03-18 01:30:16 | 日記

最終日の日曜の午前は、いよいよ私たちのパネルだ。このパネルは共同研究を基盤にした「20世紀後半のアジアにおける家族計画の比較研究-リプロダクティブ・ヘルス&ライツに注目して」というものだ。
前日は大人数でにぎわってた大会だが、最終の日曜日はもう皆引き上げかけていてどのパネルもやや閑散としている。私たちは昨日、部屋でパソコンをプロジェクタにつなぐテストも終え、全員でリハーサルも済ませて、万全の準備で臨む。
聴衆は数はそんなには多くないものの、始まる前から会場で待っていて下さる熱心な方も何人かいて、雰囲気は悪くない。
いよいよ開始。私のプレゼンテーション(趣旨説明)は、そんなに詰まることもなく、まずまずうまくいった。続く報告とコメントの間、私は時間管理をしながら会場の様子を確認。皆あまり延びることもなく、ほぼ順調に進行している。最初から熱心に聞いているあの方はだれだろう、ひょっとしてFirth氏ではないだろうか(彼女の主著は宋代の伝統医学における産科学のコスモロジーに関するものだ)・・・と考えていたら、やっぱりFirth氏で、ネパールの女性の避妊を主体的にぶりコラージュする実践について質問があった(英語のできない私でも、こういう時は何を言っているかわかる)。旧知の上海の研究者、Jiang Jin華東師範大学教授も来てくれて、Firth教授の質問の背景を解説する発言をしてくれた。著書を拝読して敬服していたFirth氏(しかも今年は時の人!)が、プログラムを見て来場し、私たちの研究の意図するところを良く理解して発言してくれたことに感激し、パネルをやって良かった、としみじみ思った。
終了後、共同研究の仲間達と近くのレストランで昼食を取って打ち上げをした。
その後、ヨーク大のF教授・J教授夫妻が、出発までの時間をお宅に招いて下さったのにおじゃまする。ドイツやイギリスからの研究者と談笑しながら、Jさん手作りのサーモン料理を何種類もいただいてカナダの味覚を堪能。前に会った時は幼児だった娘さん達はもうティーンエイジャーになっていた。
夕方、空港に向かい、深夜にカリフォルニアの家に帰着。風邪が残っているようで身体は疲れているが、充実した一日だった。
今回のAASでは、英語が出来なくても、とにかくチャレンジしてみると世界は広がる、と実感した。次は、趣旨説明だけでなく自分の研究発表もしてみたい。英語ももっとレベルアップしよう。

AAS大会(ちょっと息抜き)-ナイアガラ観光

2012-03-17 14:03:30 | 日記
ナイアガラの滝

16日は、AASの会場を抜け出して、パネルの仲間と一緒にナイアガラの滝を観光に行った。トロントの街は北米五大湖のひとつオンタリオ湖畔にあるが、ナイアガラはエリー湖とオンタリオ湖を結ぶ川が、断層のところで100メートルの標高差を落下するものだ。ホテルから車で約一時間。川の真ん中がアメリカとカナダの国境なのだが、滝のところにはちょうど島があるため、写真右側の半円形のカナダ滝と左側のまっすぐなアメリカ滝の二つに分かれている。
カナダ滝の流れ落ちる様子は、滝の裏側からしぶきを浴びながら見えるようになっている。裏から見た後、カナダ滝を落下地点の間近で見る。ものすごい水量に圧倒される。北米大陸の水を集めるこの川は、一万二千年前から今まで、そしてこれからもずっと、この水量で落下し続けるのだ。
その後、川沿いの高層ビルの上から、滝の全景を楽しみながら食事を摂る。食後は、ナイアガラ川に沿ってドライブし、Niagara on the Lakeの街で伝統的なイギリス風の馬車や衣装の人々(観光用です)を見ながらショッピング。
暖かいお天気に恵まれ、学会の合間の楽しい一日だった。

AAS大会(その2)-中国女性史/ジェンダー史の盛況

2012-03-16 00:52:24 | 日記

(トロント大学の構内)
トロント出発の前日、声がかすれているのに気づく。ここ数年、風邪を引くと声が出なくなることがあるが、このタイミングでこうなるとは! 自覚してなかったが、疲れがたまっていたのかもしれない。風邪というのは一番引くと困る時に引いてしまうのが相場だが、とにかくパネルをやるしかない。
日本からいざという時用に持ってきた薬を飲み、うがいに努めて喉をいたわる。
初めてのカナダは、心配したほど寒くはなかったが、イギリス連邦の国という雰囲気で、アメリカとは様子が違う。14日に着いて、早速夜は日本からやってきた共同研究者達と合流して打ち合わせをした。
15日は会場のホテルにほど近いトロント大学で中国哲学史のワークショップがあるというので、同宿している日本からやってきた中国研究者のSさんと一緒に出かける。旧知の(でも数年ぶりだった)ヨーク大学のF教授の主宰するワークショップは、香港やドイツからの研究者の報告もあり、テーマを絞って深い議論の展開されるいい研究会だった。夜はやはり旧知の北京大学の戴錦華教授のキーノートスピーチがあり、現在のグローバル化の下での商業主義の進展を、彼女らしい直截な言い方で批判していた。
16日夜は、AAS全体のセレモニーがあり、中国女性史の研究者である現AAS会長のGail Hashetter氏の講演があり、20世紀の中国女性/女性史を回顧する印象的な内容だった。今年のAAS特別功労賞は、宋代女性史家のCharlote Firth氏に贈られるという。約10年前、やはり中国女性史家のSusan Mann氏が会長の年に日本の小野和子先生(私が個人的にお世話になった先生でもある)に特別功労賞が贈られ、Mann会長を迎えて東京で祝賀会をした時のことを思い出す。今年は‘before and after Susan Mann'という連続パネルもあり、10年前に続いてとりわけ中国女性史/ジェンダー史がスポットライトを浴びる大会になっていた。
AASはアジア全体を対象とする学会だが、中国関係の報告の多さは、日本研究その他を大きく引き離している。その中にあって女性史/ジェンダー史はパネルの数も多く、完全に主流化していることがよくわかった。日本の中国女性史/ジェンダー史の状況とは雲泥の差である。この違いはなぜなのか、よく考える必要があろう。
ともあれ私にとっては、パネルの準備と自分の専門の報告を覗くのとで大変忙しいが実りの多い大会となった。



AAS(Association for Asian Studies)大会-パネルの準備

2012-03-15 00:04:17 | 日記
一年のアメリカ研修の最後に、カナダのトロントで開かれたAAS(Association for Asian Studies)の今年の大会に出席し、パネルを主宰した。
AASは、アメリカ最大の、中国などアジア研究の学会だ。毎年春に開かれる大会は、300あまりのパネルをはじめとする様々な活動が行われ、何千人もが参加する非常に大規模なものだ。若手の研究者にとっては、ここで認められることが一人前の証で、就職のためのインタビューの場でもあるという。
今年度の初めから、私達は「アジアの出産と社会」という共同研究を進めており、せっかくアメリカにいる機会にと、ここでその成果を発表することにした。英語圏の学会などあまり出たことのない私がいきなりパネルを組織するのは「大胆だ」と友人に「感心」されたが、この機会を逃したら今後こんなチャレンジができるとは思えない。ので無謀だと思いつつ、とにかくやってみることにした。申込みは、夏頃に、ウェブ上から(もちろん英語で)行う。報告者などを決め、レジュメを英語で書いてウェブでそれを送るまでが一苦労だった。それだけ手間をかけても審査で落とされることも珍しくないとか。しばらく待っていると、秋口にパネルが通ったという連絡が来た。こうなると本当にトロントまで出かけて英語でプレゼンテーションしなくてはならない。まあ研究の内容自体はかなりの水準だと思うし、何とかなるさ、と思っていたのは、まだ時間に余裕があったからだ。
ところが、秋も深まった頃、突然事務局からメールが来て、私たちのパネルがF.Hilary Conroy Prizeというアジアからの参加を奨励する意味を込めた賞を受賞することになったという。名誉なことだと嬉しく思う反面、どうしよう、こっそりパネルをやって自己満足するだけでは済まないようだ、と内心慌てた。いずれにしろ、頑張っていいパネルにするしかない。
年明けの一時帰国中に打ち合わせをし、2月にはいるといよいよ英語のプレゼンテーションの準備にかかる。私は最初に10分間の趣旨説明を分担する。その後4人の研究発表(各15分)、2人のコメント(各10分)と、トロントへ行く7人の共同研究者が全員登場する忙しいパネルの構成になった。
私の書いたつたない英語の原稿を、旧知のアメリカ人研究者の友人が修正してくれたら、非常に拡張高い文章になった。読む練習をしてみたが、英語が上手く発音できず、つっかえながらしか読めない。日本語で10分の内容の英語を読むのに20分近くかかる。読む練習と同時に、原稿を削って、10分で納まるようにしないと。英語の個人レッスンの先生のCarolに発音を見てもらい、毎朝の散歩中に丘の上のベンチで声を出して読む練習を重ねた。読みやすいように原稿を修正すると、格調高かった英語が平板になってしまうのは悲しかったが、とにかくなんとか10分以内で話せるようにして、トロントへ向かった。

dishes - ハイキングコース

2012-03-13 23:38:15 | 日記
dishes - ハイキングコース

このところ、良い天気で、住んでいる家の裏山のdishes(またはfoothill)と呼ばれるハイキングコースがにぎわっている。なだらかな山の散歩道を一周3マイルあまり(約5㎞)。ゆるい起伏の山道からは、サンフランシスコベイとベイエリアが見渡せる。暖かい日には栗鼠がたくさん出てきていて、見れば栗鼠の巣穴が山ほど道沿いに口を開けている。ときどき真っ白な鷺も。
dishというのは、電波望遠鏡のような感じの、円いアンテナ(?)がいくつかあるから。牛なども放牧されているが、地下には巨大な粒子加速器が設けられているとか。
ほどよく汗をかいて、キャンパス内を遠回りして散歩がてら帰ると、とても風情のあるお家が森の中にたたずんでいたりする。

音楽の捧げもの-ホームコンサート

2012-03-08 06:37:15 | 日記

今月のトーク会は、ちょっと趣向を変えてホームコンサート。曲目はバッハの「音楽の捧げもの」。メンバーの中にサンフランシスコ交響楽団でバイオリニストだった方がいらして、彼女の知り合いの音楽家たちが演奏して下さることになった。会場は「調律されたピアノのあるある程度の広さの部屋」の条件があるところということで、メンバーのお嬢さんのお宅をお借りした。
演奏の前にバイオリニストのお連れ会い(ご自身もコントラバスを弾かれる)が、バッハの生涯についてトークをして下さり、曲の作られた時代背景などのイメージが出来たところで、演奏が始まった。
バイオリンの彼女と、音楽仲間のチェロ、フルートの演奏家。ピアノは日本人の若い演奏家で、今は子育て中なのでちょっと音楽活動のペースを落としているとか。プロの音楽家の素敵な音の響きを間近で楽しめた、贅沢な音楽会だった。
演奏のあとは庭で持ち寄りのランチ(バイオリンの彼女も炊き込みご飯を持ってきてくれた!)。いいお天気を楽しみながらおしゃべりしていただいた。
プロの音楽家にこのような演奏をお願いするのは申し訳ないような気がしていたが、聞いてみると、むしろあまり気の張らない会で人前で弾くチャンスがあるのは、演奏家にとってもありがたいのだという。日本でもこういう会が気軽に企画できればいいな、と思う。
ちなみに間借りしているお家でも来週、教会関係者のホームコンサートがあるらしい(わが家はピアノがないので、弦楽器などが中心)。