最中日記

肩こりのドラム、最中のブログ

活き活き

2008年08月13日 | 思い出話
YOUTUBEってほんまなんでもありますね。
「プロレス活き活き塾」を発見して感激!
久々に観ましたがやっぱおもろいです。

2002年の話。
友人mukade氏に教えてもらった「プロレス活き活き塾」。

プロレスと自己啓発セミナーのコラボレーションという斬新さで
我々の度肝を抜きました。
一時期ものすごい流行っていました。(我々の間だけで)

塾長のキャラがすごいっす。
死んだ魚のような目をしながらこの笑顔!




「イッキイキ!」の掛け声がすごい。
でも塾長に振りすぎじゃろ!




ベタなお約束だけどすごくおもしろいです。

出演してるレスラーの、活き活き塾による洗脳を解除して
家に連れて帰ろうとするお母さんとかもいて熱いです。

当時、大阪にも興業に来ていたのに、観にいけませんでした。
どんな理由で行けなかったのか忘れちゃいましたが、
今になってものすごい後悔します。

4回ほど興業しただけで活動をやめちゃったけど、
万が一、復活するようなことがあれば是非観に行きたいです。

バイ バイシクル

2007年09月20日 | 思い出話
中学生のときの話し。
当時、僕は自転車通学しておりました。

僕の通っていた中学校には、
自転車に乗るときにヘルメットを着用しなければならない、
という校則がありました。
この校則を破れば、ペナルティとして自転車を取り上げられ、
徒歩による通学をせねばなりませんでした。
僕の家は学校から遠く、
片道およそ8キロの道程を30分ほどかけて通学していたので、
この罰則はなんとしても避けたいものでした。

しかし、中学生当時の僕は、
自転車に乗るのにわざわざヘルメットかぶるのを格好悪いと感じており、
さらには、僕の家は田舎町のさらに田舎部分、あたりは田んぼだらけだったので、
人通りも少なく、先生に見つかることもないだろうと思って、
いつもヘルメットをかぶらずにおりました。

その日も、いつものようにヘルメットをかぶらず家を出て、
人通りが多くなったところでかぶれば大丈夫だろうと思っていました。

しかし、家を出て2分もしないうちに通勤中の担任の先生となぜか遭遇しました。
そして、「学校に着いたら職員室に来い」と、
ありがたくないお言葉を、車の窓から投げかけられました。

テンション低くなって学校に着くと、
もうひとりテンションの低いクラスメイトがいました。
それは力士でした。

奇遇なことに、僕が捕まって数分もしないうちに、同じ道で捕まっていたのでした。

我々は一緒に職員室に行くことにしました。

先生の前に行くと、
力士は、
「僕も悪かったけど、
 先生も僕を見つけたときに横を向いて脇見運転してました。
 そして、そのときたぶん法廷速度の60キロを越えていたと思う。」
というような内容の主張を述べました。

あろうことか、屁理屈をこね、先生に言われなき罪をなすりつけて
自分のペナルティをなくしてしまおうと考えていたのでした。

そして、僕も似たようなことを考えていたのでした。

力士に続いて、
「ヘルメットを頭に固定するあごヒモの部分が、
 万が一、走行中のトラックとかの突起物のようなものに
 引っかかってしまった場合、大事故になる可能性があります。
 むしろヘルメットをかぶったほうが危険です。」
と、言おうと思い、
口を開きかけた瞬間、

先生の怒りの鉄拳制裁が、力士の腹部めがけて飛んできたので、

僕はすぐさま口を閉じ、さも反省してるかのようにうつむきました。
力士は朝に会ったときよりも、さらにテンション低くなっていました。



その日は約8キロの道程を歩いて帰りました。

2006年09月06日 | 思い出話
秋篠宮さまのお子さまが無事お生まれになられましたね。
ヨカッタヨカッタ。

それでふと思い出したこと。

かつて、皇太子さまが雅子さまと結婚なされるとき、
ぼけーっとテレビのニュースを見てたら、
カメラに向かってすごい顔で何かを絶叫しておる女性がおったのです。

よく見てみると、
「皇太子様ァ!!」と叫んでおりました。

どうやらその女性、
皇太子さまが雅子さまと結婚することで、
自分が皇太子さまと結婚できなかったことにショックを受けているようでした。
涙を流すほどに。

しかもその人、花嫁候補とかそんなんじゃなくて、
一般市民の人でした。
そんなことってあるんか知らと驚きました。
皇太子さまの魅力、恐るべし!


この話、いろんな人にしているんですが、信じてもらえません。
でも、俺は見たんだって!そのニュース!

ギャグ辞典

2006年08月31日 | 思い出話
五理☆五理(現・ウッホ=五理☆山)が20歳の誕生日。
私と力士で「ギャグ辞典」を贈った。

このギャグ辞典、
「あ」から「ん」までの全てのページに
我々が作ったオリジナルギャグが網羅されており、
そのやり方まで解説してあるという
イカれたマニア垂涎の便利な品物。

「ABCDエビ食いて~!」
「かっこウィリー!」
「ばっちゅぶいぶい!」
「復活斎です、ムンッ!」
上記のギャグに代表されるように、
たいていのギャグは意味不明で勢いを使ってなんとかするタイプのものだが、

「いかった いかった イカリング」
「丸くなった 丸くなった マルシア」
など、往年の名ギャグに対するオマージュの姿勢も窺える。

果たして
五理(現・ウッホ)は現在もこのギャグ辞典を活用してくれているのだろうか。
最近はそればかりが気がかりである・・・。

愛は地球を救う

2006年08月27日 | 思い出話
24時間テレビやってましたねえ。
中学くらいのころは、この放送を全部見たりと、
なぜか24時間テレビに偏った情熱を燃やしておりました。

私が中学のころ、一度24時間テレビに出ようとしたことがありました。
ローカル局の中継に切り替わったときに電波に乗ろうと考えたのです。

同級生たちと小銭を集めて募金にして
透明な入れ物に詰めたのですが、
どうにも量が少ない。

なんとなくみっともないなあと思って、
綿を詰めて、たくさん入っているように見せました。

その募金箱に自分の名前と「傾奇者(かぶきもの)」と
カラーのサインペンで大きく書きました。

その後、みんなでテレビ局へ。

液晶テレビで中継を確認しつつ、
中継がRSK(岡山地区のローカル局)に移ったと同時に突入。

本来ならば係りの人が募金を受け取り、
中継時に見えやすい場所に置いてくれるのですが、
その手を振り切り、他の募金箱から離れた場所へトライを決めました。

どうやらそのときはローカル局に切り替わったけれど、
別の場所を映していたみたいで私は電波に乗れなかったのですが、
次の日、学校で友人が私の名前が入った募金箱が映っていたと教えてくれました。
そして私は晴れて24時間テレビから卒業したのでした。
そういった青春。