◇雪吊りの終わった『もみじ公園』
蔵王温泉から車で30分、山形のもみじの名所
もみじ公園 旧宝幢寺(ほうどうじ)庭園の由来
この庭園は もと真言宗の巨刹宝幢寺(後朱印1370石)の池泉回遊式古庭園です。
これまで、元禄初期(1688~)の山形城主松平大和守直矩公(10万石)が姫の病気平癒祈願のお礼として作庭寄進されたと言い伝えられてきました。
しかし、近年それを改める史料が発見され、それによると寛文年間(1661~)城主松平下総守忠弘公(15万石)が城内本丸庭園を造り直した際、その余石と吉野のもみじをもって、この庭園も改築し、江戸から招いた幕府庭師と共に、忠弘公自ら石組に手を加え完成させたとされています。
宝幢寺は、明治初期に廃寺となり寺郭がとり払われました。残った書院と庭園は、昭和26年本市の所有となり、その後「もみじ公園」として一般に開放されたものです。(山形市)
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もみじ公園 旧宝幢寺(ほうどうじ)庭園の由来
この庭園は もと真言宗の巨刹宝幢寺(後朱印1370石)の池泉回遊式古庭園です。
これまで、元禄初期(1688~)の山形城主松平大和守直矩公(10万石)が姫の病気平癒祈願のお礼として作庭寄進されたと言い伝えられてきました。
しかし、近年それを改める史料が発見され、それによると寛文年間(1661~)城主松平下総守忠弘公(15万石)が城内本丸庭園を造り直した際、その余石と吉野のもみじをもって、この庭園も改築し、江戸から招いた幕府庭師と共に、忠弘公自ら石組に手を加え完成させたとされています。
宝幢寺は、明治初期に廃寺となり寺郭がとり払われました。残った書院と庭園は、昭和26年本市の所有となり、その後「もみじ公園」として一般に開放されたものです。(山形市)
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