明治28年の高等学校令の施行により第五高等中学校は第五高等学校になった。いわゆる五高になったのである。その時の文部省に対する五高からの質問状がある。
今般高等学校と改称従って学科の変更有り旧予科二級卒業の者は直ちに大学予科第一年級へ編入相成り夫に就いては右生徒は尋常中学校卒業の者同等と看故され度勿論に、物理、博物、及び三角の三科は尋常中学科に対して不十分に候、該三科を補習せしめ従前旧予科一級卒業生に相渡来卒業証書即千登校の予科として尋常中学科を済め正に其業を卒へたり云々の証書本人の願いに依り授与致度此談相伺度也
明治廿七年十二月七日 第五高等学校長 中川 元 学校印
文部大臣 候爵 西園寺公望 殿
文部省からの各高等中学校への通知は
己専甲二七四号で各高等中学校へ 明治二十七年六月十四日文部大臣井上 毅名で
高等中学校の卒業生にあらずして帝国大学文科大学へ入学志願の者あるときは別紙規程に依り高等中学科学力検定試験を施行すべし という通知が来ている。(別紙規程は所在不明) この通知でその内容についてはっきりしないと見え上記のような質問になったものである。
高等中学校が高等学校になったと学校名が改称されたいっても教職員・学生に取っては一大事件であった。ただ単に高等中学の生徒が高等学校の生徒になったという具合には行かなかったようで高等学校生としての学力を必要としていたようで、ここで今一度検討して見ることにした。