文部省令に基づいて臨時教員養成所は規程を定めて設置されていたものである。
明治35年4月に創設された第一臨時養成所は東京帝国大学内に国語博物科が第二臨時教員養成所は第一高等学校内に物理化学科が、そして第三臨時教員養成所は第二高等学校内に英語科が、第四臨時教員養成所が第三高等学校内に数学科、そして第五臨時教員養成所が東京外国語学校内に英語科が、設置されたが、生徒は主として師範学校、中学校の卒業生から取り、或は一般志願者中より試験選抜せられたものであり、その入学は隔年毎に、即ち前回入学の生徒の卒業を俟って行われた。
そのため専門教師の充足が見られたときには廃止の方向に持っていかれたものである。
明治39年3月には第一と第四および第五を廃止し、翌月の6月には第六臨時教員養成所を東京女子高等師範学校に設けたが明治41年3月30日の文部省告示第14号に依り第二も第一と共に31日限りで廃止されている。
この時代の臨時教員養成所の修学期間は2年間であった。
一高60年記念史、向陵史を見れば、第二臨時教員養成所の志願者、入学者、そして卒業者を眺めると M35,・志願者35 入学者22 M37卒業20 M37志願者88 入学者27 M39卒業者25 M39志願者155 入学者21 M41卒業者17の 合計62名であった。
推察できることは、文部省は専門教官が不足すると思えたときは試験を行い、その専門教官の定員が十分であると見極めた時は試験は行わないまたは臨時教員養成所は廃止するということであった。
この制度は五高に第十三臨時教員養成所が出来た20年後も変わってはいなかった