五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

赤痢事件から寮取り壊しへ

2012-07-06 04:32:12 | 五高の歴史

赤痢事件 後任には文部省督学官吉岡卿甫氏が来任されたが、着任早々の十一月の終わり頃より寮内にはチフス患者赤痢患者が続出して、学校内外を震撼せしめた。今度は臨時休校に留まらず一週間の生徒の校外外出を自発的に禁止し、寄宿舎籠城を余儀なくさせられ寮生の苦痛も生徒監の苦悩も何大抵のことでは無かった。赤痢が怖いか,五高精神を捨てるか非常な激論が交わされた。「寮を閉鎖すれば竜南の伝統の五高精神は滅びるじゃないか。」と心配されたが、然し遂に「この際先ず閉鎖せよ。」と言う意見が大半を占め此処に寮は再び閉鎖せねばならぬと言う悲しい運命に直面したのであった。

旧寮取壊し反対論 南北の2寮は自習室が八人、寝室が十六人一組で各室には室長があった。旧寮は採光が、風通しが悪く  不潔でパチルスの培養所のようだという改築論に対し、山下某氏を筆頭に「毛色の違う多数の人間が一つ室に起臥しながら相互の切磋琢磨の中に自ら団体精神を体得する旧寮の方が寮生活の真意義を生かす」と旧寮の取り壊しに反対して最後まで頑張って籠城したが遂に山下氏もチブスに襲われる悲劇が発生した。結局無期閉鎖が行なわれ、寮生は校外寮や下宿屋に移って行ったのである。(参考続習学寮史)