五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

大正時代には第13臨時教員養成所が出来ている

2012-07-15 03:35:03 | 五高の歴史

大正時代の五高のエピソードを探してきたが、二年八月に赴任した吉岡校長の思い出の記の中に書いておられるように赤痢事件が終決して寮の改修を終わると特に取り上げるようなことは無かったと言われているように新寮の成立を見た以後は平穏な時代を送っている。

しかし大正末に五高に第13臨時教員養成所が設置されていることは取り上げるエピソードではあるまいか?、いわゆる高等師範である。設置されたのは大正15年・4月1日の文部省告示第203号を以って臨時教員養成所数学科が設置された。

五高では明治35年3月28日の勅令第100号臨時教員養成所官制ならびに同年の3月29日の文部省令第8号臨時教員養成所規程に基づいて、本所規則と本所学資支給規程並びに生徒服務細則を制定し文部省に申請しすぐ認可を受けた。同時に授業が開始された。

設備は五高内の倉庫を利用している(当時の台帳を調査してみると・・・建物番号第84号 雑屋建 物置 木造平屋建 80坪 価格6237円76銭5厘から6887円8銭5厘へ大正15年3月及昭和3年5月の模様替につき増価格になっている・・・・)倉庫の一部を改修して教室として生徒を収容した。職員及び生徒の使用する机・器具類は五高の備品を借用して使用し、参考用図書の多くは五高の備品を借覧したが不足する分については必要な分は購入した。

その内訳は図書で和漢書43部、端本4冊、洋書25部、端本1冊で、価格は327円40銭であった。

職員には専任の教官は居ない。大正15年度末の臨時教員養成所の職員は管理者1名、主事1名、講師10名、事務5名、医師1名の合計18名で講師の外は俸給は皆五高から出ている。その内の講師1名は県立熊本商業学校の教諭で他は五高の教授、講師、及び書記を嘱託としている。