五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

野球部は全国高専大会で優勝している

2012-07-26 04:55:00 | 五高の歴史

熊本市内に電車、水道等が完成したその記念事業を飾るため熊本市では共進会が開かれて賑わい市街の発展はめざましく。同時に生徒の中にも享楽派があらわれた。

大正13,14,15年頃には文芸熱も高まり校友会誌「竜南」をはじめ短歌の山上,詩の翼、創作方面では三四郎、等がかなりの活躍をしたようであった。

15年には全市民を巻き込んで喜ばれていた対七高野球戦も大衝突があり中止のやむなきに至り、熊本の春秋は寂しいものになったが、しかしこの年の野球部の活躍は目覚しく全国高専大会で優勝を飾り黄金時代を現出している。

七高野球戦はあらゆる手段を通じて復活が叫ばれたが断固として拒否された。その後はボートレースに力を注ぎ五高文科・理科の対抗戦をはじめとして昭和三年より盛大に始めたのである。

 

大正15年の対抗戦で寮歌武夫原頭の歌をめぐって、鹿児島七高応援団が「武夫原頭に糞たれて、花岡山に駆け上り枯れ草取っておし拭い・・・・」と囃したことで、両応援団同士の乱闘事件にまで発展した。ついには以後中止のやむなきに至った。しかしこの年の五高野球部は黄金時代で全国高専野球大会においてエース高橋一(後の輸出銀行総裁)や主将廣岡知男(後の朝日新聞社社長)等の活躍で、延長19回1対0で明大専門部を破り優勝を飾っている。しかしこの事件を背景として五高野球部は廃止に追いやられている。