五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

大正時代は吉岡校長

2012-07-04 05:30:04 | 五高の歴史

大正年間の五高は吉岡卿甫校長の時代である。大正年間の国家的事件としては大正3年、青島陥落、そして4年即位の大典、5年には立大子の大礼、7年日支条約の締結等々、のため吉岡校長は提灯行列に用いる祝賀の歌を作成している。大正2年文部省督学官から10月23日付けで五高校長兼教授として赴任している。

吉岡校長の思い出の記等を読んでみるとチブス事件が収束した大正2年文部省督学官から10月23日付けを以って五高校長兼教授として赴任した後は五高での生活は太平とした生活であったとしてある。この校長の時代の目立った事業として、鹿児島の七高との野球対抗戦を始めたこと。疫病事件で解体・取壊した習学寮を再建、整備したこと。運動場のトラックの新設、職員室、図書館の改築、集会場の建設等が挙げられるかと思う。其の他、不備の学校規則等の根本改正したことは業績であろう。龍南会雑誌238号の回顧記に記載がある。

吉岡校長は官僚出身のためか、人情味のないワンマンの典型のような人物であったと言われて、学生の教育は全て部下の教官に任せであったと言う。五高に足掛け9年在職した。大正10年1月9日付けで新設された浦和高等学校長として転任した。