大正五年九月より生徒監の堀重黒先生が習学寮の舎監を兼任され自由放恣な空気を粛清せんとして、自治を害せぬかと思われるまでに寮生の全てのことに注意が払われた。
これは当時の風俗が退廃し全国の学生間には真摯、礼儀の風も甚だ希薄になり放銃混沌として個人の利己主義が漸く萌え始めたからである。
新寮の完成に鑑み寮風を引き締めておくことは将来の寮風を着実なるものを残すことに力ありと寮のことも積極的に乗り出し拡張に努めたために強力生徒課の出現とまで風刺された。
しかしこのままで押し通すということは真の高校生活を味わう所以ではないとし次第に緩めていった。
正しい寮風のもとに自治を認め自由を許すべきだとの理想に出たのである。
先生が新習学寮の寮風を築き上げた役割は大きかった。転任に際しては寮生一同より記念品を贈呈したほど敬慕していたと言う。