寮報部史 寮報誕生の経緯 大正十四年九月、それまで寮生多年宿望していた「寮報」は時の総代濱悦治氏の努力によって創刊された。
その「創刊の辞」の一節と目次を掲げる。
創刊の辞
「寮報」は寮生が日常生活の報告ではない。又単なる要求希望の掲載欄であらせたくない。
「寮報」は寮生自らの魂の底に囁く自由な表現そのものであつて欲しい。寮生は勿論龍南人の一部である。然し龍南の歴史を背負う中堅である。加之寮生は日常親しい大きな生活の適はしさがある。国には国独特の生活様式があるが如く、寮生は又寮生特殊な生活がある。それは只外面的形式のみでなくもつと我々三百有余の心の深所に触れる或物がある事を信じて疑わない。その或物!内面の心の閃きこそ我々の生活に取って最も尊いのだ。「寮報」は此のサムシングの声を聞くことだ。
目次
創刊の辞 もっとサムシングを!
寮生活と修養 校長 溝渕進馬
自治の光 生徒監 竹内良三郎
感想 文三乙 濱田悦治
鶴嶺城下戦いの日 理三乙 末富九州男
学寮会部報
阿蘇登山記 理三乙山路重省
寮内日誌抄 その他
次いで大正十五年春に「寮報」第二号が発行されたが、これは第二学期学寮会予算面に寮費として百十円の予算があったので之によったのである。「魂の叫び」と題する濱田氏の論文を始め注目すべき記事で充ちており、特に学寮日誌抄は習学寮史の資料に多大の便宜を与えている。折角総代はじめ寮生の熱意によって発刊された「寮報」も第二号で廃刊になったが、当時の生徒監竹内良三郎の談では「生徒課に提示せず勝手に廃刊したこと、その内容に不穏当な記事が多かった事」などが挙げられているが、当時の事情から察して、寮生の熱意の低さ、熱意の低下による原稿が不足したことが原因していると思われる。此の後数年間は「寮報」は学寮面には尚依然としてその名目を存し、何時でも刊行できるように一旦穫得した発行権は保有されていた。
寮報部というサークルがあったのだろう、現在は寮に関する物は習学寮史、続習学寮史以外に存在しているものはない