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『あん』

2015-07-10 | 本・映画・音楽・芝居など

 

昨日の午前中に映画『あん』を観て
午後から夜にかけて原作本『あん』を読み終わる

映画のなかで気になっていたのが
『カナリア』のこと

読んでスッキリした溜め息
コレなら分かるふふ~ん

って映画観てない人には何のことなの?だよな・・・

昨日からこの映画のストーリーを説明しようと
書いては消し、の繰り返し・・・tehe*
いい作品だから誤解の無いようにと
思えば思うほど書けなくなる

あそうだ
ひと様のをお借りしよう
俵万智さまのが一番ピンと来たので
お借りしまして・・・

こちらをクリックしてください

万智さま素晴らしいぱちぱち


で、映画の中で
徳江さんがワカナちゃんから譲り受けたカナリアを
籠から逃してやった、と伝言するシーンがあって
それがとても気になったわけなのだ
美味しく煮えた小豆の中に
1粒だけ混じってた虫食いの固い小豆
みたいな感触・・・
徳江さんとカナリアをだぶらせたような
表現への違和感
徳江さんのその一言だけが
安っぽく俗に思えて
小豆1粒分醒めたってわけです・・・

それと最後のシーンの千太郎にアレ言わせるのも
実は好きじゃない・・・
ラストって本当に難しい

でもその2つの小さい小さい引っかかりは
原作を読んですべて凍解した

いい本だったキラキラキラキラキラキラ
辛い思いをしている人に読んでほしい
な~んにも考えてない人にも読んでほしい
ドリアン助川さんって昔から好きだったけど
ますます好きになっちゃった
『メキシコ人はなぜハゲないし死なないのか』
も読もうっとbikkuri☆☆

引っかかりがあっても
心に深く残る映画であったことは間違いない
うっとりするくらい素晴らしい映像だった



最近の私のお気に入りベスト3
「冬の小鳥」
「チョコレートドーナッツ」
そして「あん」













言うばっかり

2015-03-30 | 本・映画・音楽・芝居など
今日(正確には昨日)
演劇的なものを観てきた
なんで『的』と言うのかというと
舞台上の人たちが演じていたのか
よく分からなかったからだ

プロローグで20名の出演者が
次々と『自分』の事を語る
『見知らぬ他人にも人生がある』
などという当たり前のことに気づかされ
ちょっと胸が熱くなって驚いた

で、結構期待して観ていたのだが…

(私評論家になれないな、上手く説明できない)

出演者の魅力を引き出していない!
としか思えなくて…
一応私も役者だから
観てて途中で辛くなっちゃった

ミザンスつけるのが好きな(?)演出家が
「はい!そこは3歩歩いたら振り返る!」
とか
「3つ数えてから返事をする!」
なんて指示するよりはマシだと思うけど

なーんにもしてないのもどうよ!?
(少しはしたのかな…)

映像とか音楽には力が入ってて
選曲のセンスなんか好きだなぁ♪
って思ったけど
そっちに力注いで構成演出って
違うんじゃない?

『素』の魅力が引き出されたプロローグが勿体ないよ

『素』のままの芝居
好意は持てても愉しめなーい!



3/29 きらり☆ふじみ

(おかし!頑張って書いたよ)

『素』のままでいい桂さん


















今年中にこれだけは書いておかなくちゃ・・・

2014-12-30 | 本・映画・音楽・芝居など
 郊外の駅を降りて、少し歩く。
   商店街を一本奥に入ったところ、
   道端に出した手書きのボードをたよりに
   小さな庭に入っていくと
   大きな窓とガラスドアの向こうに
   20畳くらいの空間があなたを待っている
  
   ギャラリー「猫の家」である
                         “お転婆ァ団”上演作品『いちゃもん』台本ト書きより
 
「猫の家」こと高円寺「ドラシドハウス」
 
『いちゃもん』は
わたしたち(ヤッキリシスターズ)の間に起こったり、起こらなかった
本当の話しと少しの嘘で出来上がった芝居だった
 
このギャラリーで私たち3人は
色んな事をやりたかった
 こけら落としは私たちのコンサート
 庭にまで溢れたお客様の前で
私たちは夢いっぱいだった
 
まだ私の遠距離介護は始まっていなかったし
友も病気になる前だった
 
今年もあと少しで終わる
10月中旬、芝居が終わった後書きかけたままのブログが下書きのままになっていた
まだ途中だけどこのままUPしておく
 
今宵ここ高円寺「ドラシドハウス」またの名を「高円寺魔女ハウス」で
ヤッキリシスターズと天才ヴォーカリストが集い
“大人の女子会”が催される
 
 
 
 
 
 

映画『personal song』を観て …孤独と自由と…

2014-12-09 | 本・映画・音楽・芝居など
師走だって言うのに!
大掃除どころか
小掃除もしてないのに!
観に行っちゃった




そりゃ地味な映画かもしれない
だけど観客6人は寂しすぎる
いい映画なのに…

観ながら
私のpersonal songは何だろう?
って考えてた

小学生の頃は家にはラジオがあるだけで
音楽と言ったら
NHKの音楽番組のクラシックや
夕方の子供向けの歌
父がマンドリン抱えて歌ってくれた
カンツォーネやフォスター
叔母の家のオルガンと叔母の賛美歌

中学生になっても家にはTVも無くて
友達の家でレコードを聴かせて貰った
カウシルズ(?)の「悲しき雨音」とか
ニニ・ロッソのトランペットとか
自分の好みは関係なし!
あの頃はどんな音楽でも心に響いた
そう言えばTVは買ってくれないのに
何故かフルートは買ってくれて
一生懸命練習したっけ
そうだ!ピエール・ド・ランパル!

あらら~
好きな音楽に辿り着く前から
どんどん思い出が蘇ってくる

音楽って確かに不思議だね
でも聴覚の無い人が認知症になったら
どうしたらいいのかしら?
匂い?

そんな事も考えてしまった…

音楽療法は確かに素晴らしいけど、
それ以前に介護施設の在り方が
問題じゃないの?
ノーマライゼーションなんて言うけど
そんなのどこにあるのかしら?

音楽の素晴らしさより
切なさの方が心に沁みた

老いてもボケても
今日まで生きてきたと同じように
明日も普通に暮らしていきたい
そう、私の父kintaのように
最期まで普通に暮らしたい

父kintaのpersonal songは
クルト ワイルの「ユーカリ」
カザルスの「鳥の歌」
2曲ともいやと言うほど聴かされた

それなのにアルツハイマーになってからは
殆んど興味を示さなくなった
この映画に出てくる老人たちのように
音楽で感情を揺り動かされる事は無くなった


何が違うのかと考える…

父は自分の希望通りに
自分の暮らしたい場所で
今まで通りに生きていた
自分の起きたいときに起き
食べたいときに食べ
寝たい時に眠った
独りぼっちだったけど
「自由」を愉しんでいた

だから音楽で「癒す」必要が無かったのか!

「自由」と「孤独」は2つで1つ
「自由」の無い「孤独」なんて
考えるだけでゾッとする

「家族」や「恋人」が出来て
「孤独」じゃなくなると「不自由」になる
「愛」と引き換えに「自由」を差し出す

アレ?何だか話がそれてきた

何を言いたいかと言うと…
私がうんとお婆さんになって
もし独りぼっちになったら
自由に生きさせて欲しい!ってこと

食べることも歩くことも出来なくなったら?
さて、困ったね…
そしたら介護施設でイヤホンつけて
好きな音楽聴くしかないか

自分の歌聴いて泣くのだけは
御免蒙るけどね♪


そもそものそもそも・・・誕生日によせて

2014-11-20 | 本・映画・音楽・芝居など
小さい頃から丸かった○(まる)ねこ
大人になってもずっと丸いまままるねこ
顔も手も足も丸いまる猫・泣く
これはもう骨格・体型だから仕方ない・・
 
とわかったのが28才の頃
 
その頃私は舞台女優で
劇団で一番最初に貰った役が・・・
「太鼓番」
奴さんみたいな恰好で
デンデン太鼓を持って歌い踊るという役
 
その次が仔猫
おんぷオバサン!オバサン!顔出しておくれ!
窓を開けておくれ♪
と可愛く(?)唄う
 
本公演の最初の役には名前があった。
ウォーリーだったかな?
盲腸をこじらせてすぐ死んじゃう男の子の役・・
 
その頃の衣裳はいつも半ズボンキラキラ
 
そんな私に初めて中世のドレスを着る役が来たMeキラキラ
 
オッパイの下にいっぱい詰め物をして
ウェストニッパーの紐をググッと締めて
高いヒールのシューズを履いて
鏡に映った姿を見てニターーー猫
「結構いけるじゃんラブラブ
と喜んだのだが…
横を向いたときに気がついてしまった・・・
バランスが変!
 
・・・・腕が短い!涙
 
そう、短い脚はを履いて
スカートで隠せば誤魔化せる
 
顔だってメイクで何とでもなる
 
だが!短い腕は誤魔化せない・・・汗
 
あの日わたしは
「真実の自分の姿」に目覚めたのさ
でも芝居は美人や二枚目ばかりじゃ成り立たない
その芝居で私の役は「乳母」だった・・
 
それから20年後、芝居をやめていた私は
シャンソンなど歌っていたが
先輩歌手を観ていて思った!
 
『恋』の歌をデブが唄ってはいけない爆弾
 
ふっくら・ころころ・プリプリ色っぽいならいい
でも、座布団みたいな四角いおデブが
目を剥いて、切なげにため息混じりに
恋を唄ってはならないむかっ
あっ!これ日本のシャンソン限定ですからビックリマーク
カーメン・マクレーやディー・ディー・ブリッジウォーター
歳とって座蒲団みたいになってもいいんですドキドキ
これはもう理屈ではなく
『実感』なので説明不可能なんだけど…
 
そんなわけでデブになってしまった私は
恋の歌を封印したのだが
来年、唄いたい歌がある
 
昔のドレスが着られるようになるか!?
 
ゴールは来年の初夏
 
自分を奮い立たせるために
友人とのライブをYouTubeに何曲かupした
音源しかないので動画ではないけど…
 
 
晒すことと宣言すること
誕生日の今日から新たなスタート

歌はこちらから
やじるし
夏の終わりこんさーと