チャーリー・パーカーが愛した曲といわれる『スター・アイズ』は、夏原の好きな曲でもあった。この曲を好むミュージシャンは多いのか、数多くのレコーディングがある。しかし、肝腎のチャーリー・パーカーのものは店内のコレクションにはなかった。
「なんだいマスター、朝っぱらから『トーチー』なんかかけちゃって」
先程やってきたヒゲ村が憎まれ口をたたいた。
「いやぁ、ちょっと聴きたくなったものだから。ヒゲ村の言うように、朝には合わないけど『スター・アイズ』が聴きたくなったんだ。ボクはこの曲が入ったものでは、カーメン・マクレエのヴォーカルのものが一番好きなんだ」
「わかるけどマスター、T P Oを考えてよ」
「まあいいじゃないか。細かい事を言わなくっても。いいものは何時聴いたっていいんだ」
「まあね」ヒゲ村はあっさり応じた。
「ほら、いいだろ。何とも言えない声の張りだ。この歌をここまで表現できる人はそうはいないよ。甘ったれた歌い方でルックスにたよる白人歌手とは一線を画す、本物のジャズ・ヴォーカルだよ」
夏原はひとり悦に入っていた。『トーチー』のB面の終わりにかかると、ヒゲ村が言った。
「次はバド・パウエルでやってみてよ。ゴールデン・サークルのだよ」
「いいよ」夏原は Vol.4を出してきて、ヒゲ村に手渡した。
「これこれ。この『スター・アイズ』も独特の味わいがあっていいんだ」
二人の会話の最中、スミちゃんがやって来た。後から影のように入って来たのは海雲堂だった。
「途中で遇ったのよ。海雲堂さんは今日は来る予定じゃなかったらしいけど、無理に連れて来ちゃったわ」
「ジャズ喫茶に同伴出勤かい」
ヒゲ村が茶々を入れた。
「それは申し訳ない。涙ぐましい協力ぶりだね」
「お店への貢献度といったら大変なものよ」
夏原は笑いながら、ヒゲ村から受け取ったレコードをプレーヤーにセットした。
「マスターが『スター・アイズ』を聴いてたんで、オレもリクエストしたんだ」
ヒゲ村が、スミちゃんに言った。
「『スター・アイズ』の聴き較べね。じゃ、ヒゲ村君の後に私もリクエストしてみたいわ」
「『スター・アイズ』ね。ボクも好きなのがあるからお願いしようかな」
海雲堂ものって来た。
「強引に連れて来た海雲堂さんの方が先よ、マスター」
「はいはい。その前にヒゲ村のパウエルだな」
A面の2曲目に入ると、パウエルが弾く、重く地を這うような低音で織り成すテーマが皆の耳をたたく。ヨーロッパ時代の苦悩のうめきのようでもあった。
「オレこれが好きなんだ。ゴボゴボって感じが」
ヒゲ村の言葉に皆が笑った。やがて3曲目の『ブルース・イン・ザ・クローゼット』が終わった。
「海雲堂さんのは何ですか」
「エヴァンスの『ア・シンプル・マター・オブ・コンヴィクション』です」
その言葉に従って夏原は、重厚な雰囲気の部屋で三人が語らうジャケットを示すと、海雲堂が頷いた。
回転しだしたレコードから、静寂をついてエヴァンスのピアノが現われた。B面2曲目の『スター・アイズ』にかかると、
「エヴァンスの『スター・アイズ』。そのひと言しかないわね」
「一音だけでその存在を醸し出すエヴァンスって、やはり凄いね。それはそうとスミちゃんの『スター・アイズ』は」
曲が終わって、海雲堂が聞いた。
「ピアノが続いたから、レッド・ロドニーのトランペットってのは、どう」
「ああ、『ファイアリー』に入ってるやつね。今出してくるよ」
「こうやって今宵に至るまで延々と続くわけね。これだからジャズ喫茶通いは止められないんだ。思い出した。スミちゃんの後にジョン・ジェンキンスの『ジャズ・アイズ』を予約しとこ」
ヒゲ村が待ってましたといった顔で、嬉しそうに言った。
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