夏原悟朗の日々

当世時代遅れジャズ喫茶店主ものがたり /「写真+小説」形式によるジャズ小説 前田義昭作品

76. ピーターソン流

2011-01-12 | ジャズ小説

Dsci0060Night Train (Verve)・OSCAR PETERSON


「友人に誘われてね。その頃まだあった自由が丘の『ファイブ・スポット』へ行ったんだ」
『ナイト・トレイン』を手に夏原は懐かしさを込めて言った。
「オスカー・ピーターソンがお忍びで来日していて、今夜あたり『ファイブ・スポット』に来ているはずだから、きっと飛び入りでやるって言うんで、そりゃ面白そうだから一緒に行こうってことになってね」
「いたんですか。ピーターソンは」
「どんぴしゃだった。名前は忘れたけど日本人のバンドが演奏していたが、客席を見渡すと来てるんだ。デカいからすぐ判ったよ。誰かと談笑していたが客にのせられてそのうちきっとやりだすよって、友人が言うんだ」
「で、やりだしたんですね」
「客が皆それを望んでいるから、居ても立ってもいられないんだろうね。拍手にのせられてステージに上がったらもう独壇場だね。ノリのいい曲を二、三やって大喝采だったよ。たった一杯のコーヒー代でもうけものをしたってわけさ」
「へえっ、面白そうですね。いつ頃ですか」
「もう40年くらい前かな。北見君なんか陰も形もない頃だよ」
 大学生の北見にとっては想像もつかない昔の話だった。
「とてもわかりやすいジャズなのよね、ピーターソンは。小難しくない、いわば大衆文学ってとこかな」
 今しがたやってきたスミちゃんが、大きなバッグを置いてすぐに話題に加わった。
「そんなわけで日本での評価はあまり芳しくなくて、芸人などと揶揄されたりしてるのよ。日本て、どんな分野でもそういう色分けをするのが好きみたいね」
「『プリーズ・リクエスト』なんかオーディオ・チェック盤呼ばわりだからね」
「ジャケット写真がよくないのよ。いつも大口を開けて笑ってるんだから。そういうのって、けっこう影響すんのよね。これは顔写真が出てないから格調がでてるじゃない。演奏もいいのよ」
 北見はジャケットをしげしげと見た。ジャズに足を踏み入れてそれほど日が経たない彼にとって、聞くものすべてが勉強になっているようだった。この時、前口上が長くなっていたのに気づいた夏原は、素早くレコードをターン・テーブル置いて回転させた。
 1曲目の『ナイト・トレイン』が流れた。
「ジャケット写真の列車は物凄いスピードで疾走している感じだけど、この演奏はのんびりとしたものですね。コルトレーンの『ブルー・トレイン』のスピード感とはまたちがって」
「たしかにね。その辺がまた面白いとこかもしれないね」
「ジャケット・デザインの制作とは別の流れになることも多いから、必ずしも曲想には合うとはかぎらないのよね。それがびったりの時もあるし、色々よね」
 夏原の言葉に、スミちゃんが補足した。
「明朝到着する街はどんなところなんだろうかと、うきうきどきどきしてなかなか眠れないって心模様を感じさせる演奏だなぁ」
「いい線いってるわね。それはそうと、海外で夜行列車に乗った時の夜明けのコーヒーは格別おいしいもんよね」
 スミちゃんが夢見る表情をした。
「ああ、乗務員が持ってきてくれるやつね。朝の風景を見ながらのそのひとときは何ともいえないね」
「ぼくはまだ経験がないです」
「これからいっぱい経験できるんだから。いいわねぇ、若いって」
「スミちゃんらしくないな。そんな言い方は」
「そんなこともないわよ」
 夏原に指摘されたスミちゃんはそう言ってから、北見から受け取ったジャケットの写真を黙って凝視していた。

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◎写真+小説「ニューヨーク模様」「前田義昭という名の写真人の独白」も、あわせてご覧ください。