夏原悟朗の日々

当世時代遅れジャズ喫茶店主ものがたり /「写真+小説」形式によるジャズ小説 前田義昭作品

64. 紫煙の向こうのジャズ

2009-11-21 | ジャズ小説

Img_4227Eric Dolphy at The Five Spot (Prestige)・ERIC DOLPHY


「いやぁ、熱いなぁ。とにかく熱い」
『ファイブ・スポットのエリック・ドルフィー』をリクエストした海雲堂が、1曲目の『ファイア・ワルツ』がかかった瞬間唸った。
「タイトルに偽りなしだ。文字どおり炎が燃えるような演奏だよ。いい時代だなぁ。こんな熱気のあるライヴの渦中に居られたらと思うとゾクゾクしちゃいますよ、マスター」
「演奏に入る前の間がカットされずに入っているけど、これがいいね。ミュージシャン同士の小声や楽器の調整音なんかが期待感を盛り上げる効果を出してるよね」
「入ってると入ってないじゃ全然違いますよね。場内の空気感が伝わるもの」
「ちょっとしたことなんだけどね」
「ドルフィーだけですよ、前衛派で今でも聴いてみたいのは」
 少し逡巡しながらも海雲堂が言った。
「ドルフィーに引っ張られるブッカー・リトルやマル・ウォルドロンが実にいいんだね。ドルフィーのアイデアをそのまま置き換えたような、リトルのトランペットが素晴らしい」
「モールス信号みたいだってよく言われるマルのピアノが、またよくマッチしてていいんだなぁ」
『ファイア・ワルツ』の終盤にかかる盛り上がったところで、海雲堂は打鍵のまねをして上体をバウンドさせ悦に入った。
「いやぁ、大盛り上がりですなぁ」
 いつの間にかヒゲ村が来ていて、海雲堂の背後から声をかけた。
「ロリンズのファンじゃなかったの」
「ロリンズもそうだけど、ドルフィーも好きなんだ」
「海雲堂さんも気が多いね。それはそうとさっき神保町へ行ってたんだけどね」
「レコード持ってないじゃない」
「また、マスター。本当言うと探してたのあったんだけど、ぐっと堪えたんだ。その代わりと言っちゃなんだけど、珍しいものを買っちゃったよ。あの辺に古書センターってあるでしょ。そのなかにガラクタを売っている店があるの知ってる」
「ああ、あるよね。店内がゴミ屋敷状態になってる店だろ。最近は映画関係のものが多くなったね」
 夏原が言うと、ヒゲ村はニヤッと笑ってポケットから小さな紙袋を取り出した。
「オレ、初めて行ったんだけど、あそこ訳の判らないもの売ってんだ。こんなのもね」
 ヒゲ村が出してきたのはピースの空箱だった。接着面をはずして細長い一枚の紙になっていた。通常のデザインではなく記念品用につくった特注のもので、トランペットのイラストをあしらった札幌のジャズ喫茶の名がデザインされていた。
「昔はこんなものをつくってたんだね。常連のお客さんやお世話になった人に贈呈したんだろうと思うよ。記念煙草はよくあるけど、個人が別注でつくったものを見るのはボクも初めてだ」
「ほんとだ。宣伝用の煙草があったなんて知らなかったなぁ。マッチならよくあるけど」
 広告のアートディレクターをやっている海雲堂が、手に取って興味深そうに見つめていた。
「他にも旅館のものや色んな商店のものがけっこうあったよ。昔は皆、煙草を喫ってたから当たり前だったんだね。時代は変わったね。200円だったけど、これ面白いから額に入れて飾っとこ」
 ヒゲ村がお宝を大事そうに手で触った。
「それならレコードと違って金はかからないもんね。この店は前に面白いものが色々あったんだよ。戦前の馬券とかね。この宣伝煙草のデザインなんか見ると、ジャズがもっともジャズらしかった時代の雰囲気があるよね」
「店からブレゼントされたビースをくゆらせながら、今かかっている『ファイブ・スポット』なんかを、目を輝かせながら当時の人は聴いていたんだろうなぁ」
 海雲堂の想像はふくらんでいった。
「ジャズ喫茶でしか聴けない頃だからね。煙草が遠い時代になったように、ドルフィーのジャズも遠くなってしまったのかな」
「マスターが店をやってる限り大丈夫だよ」
 珍しくヒゲ村に慰められる夏原だった。


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