Sonny Clark Trio (Blue Note)・SONNY CLARK
「一度手放したレコードと再会できるなんて奇跡みたいですね。まして東京から遠く離れた東北の地方都市でですよ」
休暇をとって旅行していたマジ村は、ちょっと興奮した面持ちでバッグから土産とともに『ソニー・クラーク・トリオ』を取り出して言った。
「ふと入った中古屋でみつけたんです。このレコードはすでに持っているんですが、手にした時何故か気になったので盤を出したら内側に自分の名前が書いてあったのでびっくりしました。手放したレコードだと分かったら、旧友と再会したような懐かしさを覚えてすぐ買っちゃいましたよ。ほらここに自分の名前と購入日が書いてあるでしょ」
「本当だ。中村輝雄、昭和63年1月10日と書いてあるね」
受け取ったレコード・ジャケットのその部分を見て、夏原が言った。
「ぼくが初めて買ったジャズ・レコードですよ。その年のお年玉で買ったのを憶えています。今は名前を入れていませんが、その時は自分のものだと主張したくて誇らし気に書いたんです」
「で、どうして手放したの」
「手放すつもりなどなかったんです。その頃仲のよかった友人に貸していたんです。ところがその一家が間もなく突然夜逃げをしてしまったんですよ。まったくどこに行ったのかわからなかった。勿論友人も気がかりだったけど、苦労して買ったレコードが惜しくて。住所を知っているから後で送ってくれるのかと思っていましたが、とうとう何の音沙汰もありませんでした」
「まさか夜逃げをするなんてね」
「恐らくその友人も知らなかったと思います。いや、そう思いたいですよ。もしかしたら今でもあの町のどこかに住んでいるのかもしれませんね」
「ジャケットの傷み具合を見ると、随分聴き込んだ跡が感じられるね。何回も繰り返して聴いていたのかな」
夏原はこのレコードと持ち主が辿った運命を想像した。本来なら自分のものじゃないし、まして愛聴していたなら手放すはずはない。もしかしたらと思ったが口には出さなかった。町のどこかにとマジ村は言ったものの、内心同様の思いをしているのかもしれない。
「よし、それじゃ懐かしのレコードをかけてみよう」
「マスター、B面をお願いします。ある日友人と一緒に聴いた時、『朝日のようにさわやかに』をぼくらはとても気に入っていたのを昨日のように思い出されてきましたよ。彼はこの曲がとてもいいって言ってました。幸せな気分になれるって。友人がじっくり聴きたいと言ったので貸したんです」
何回も針を落とした様子が見て取れる盤の中心孔を、夏原はゆっくりと金属軸に嵌め込んだ。力強いイントロが耳を打つ『タッズ・デライト』。クラーク独特の一呼吸ずらせた音が心地よく響く。
『朝日のようにさわやかに』で、クラークのピアノが一層輝きを増す。テーマに入る指運びが実に小気味いい。アドリブになってからもまったく破綻がなく、際立つ一音一音に心地よく身を委ねられるのだ。この曲はこんな風に演奏すると最高なんだぜ、とクラークが言っているようだ。
「二十年も経って、行き別れになっていたレコードを再び手にするなんてね」
マジ村は、ためつすがめつジャケットを眺めた。その様子を見つめていた夏原も気持がよく理解できるのだった。
「こう思うとレコードとはいえ、それぞれの運命があるんだね」
「元の持ち主に還れて喜んでくれているでしょうかね」
マジ村は照れ笑いしながら言った。
「別のレコードで聴いてはいても、あの頃のレコードをこうやって再び耳にすると何か違うような気がするんです」
「それぞれのかけがえのない思いがこめられているんだよ。たった一枚のレコードであっても。リクエストする人のこころのうちは簡単に推し量る事はできないけれど、その盤にはその人の思いが重なっているんだとつくづく思うようになったよ」
「ある時、客は一枚のレコードからそれらにまつわる話を始める。そこには仕事や恋愛や人生の様々な事柄が絡んでいるんでしょ」
「その通りだよ.今日の話のように」
レコード話をきっかけに客たちの生き様を数知れず聞かされてきた夏原は、こんな場があってもいいんだなと自分に言い聞かせ、ひとり納得するのだった。
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