夏原悟朗の日々

当世時代遅れジャズ喫茶店主ものがたり /「写真+小説」形式によるジャズ小説 前田義昭作品

70. 展覧会の客

2010-04-14 | ジャズ小説

Img_4427The Real Birth of The Cool (CBS Sony)・CLAUDE THORNHILL ORCHESTRA Featuring GIL EVANS Arrangements


 ムソルグスキーの『展覧会の絵』から編曲した『叙情詩人』がかかり始めた時、スミちゃんがやって来た。
 皆と一緒に聴いていたが、終わると微妙な含み笑いをした。
「『展覧会の絵』って、反射的に思う浮かべる話あんのよね」
「何だい、聞かせてよ」
 レコードをリクエストしたカラヤンがせっついた。
「曲でも絵でもなくて、客のことなんだけどね」
「客 ?」
「そう。といっても招かざる客のことなのよ。いえね、あたしの女友達でギャラリーをやっているのがいるんだけど、この客に悩んでいるのよ」
「どういう客なの」
 夏原も聞き入ってきた。
「ギャラリーって、初日は作家が招待した客たちとオープニング・パーティをやるじゃない。どこで聞きつけたのか、そんなところに紛れ込んで、会場で出す酒やつまみをちゃっかり頂戴してしまうって寸法よ。作家を探し当てて、調子よくお祝いの言葉を述べたり作品を褒めちぎったりするわけ。そうすると作家だって面識がなくても悪い気はしないし、ギャラリーが招待した客だと思ってお礼を言ったりするわけじゃない。ギャラリーの主は主で他の客の手前、出て行ってもらいたくてもむげにはできないってことなのよ」
「へぇ、うまく考えたもんだなぁ」
「当選した選挙事務所へ行ってただ酒を飲みまくるあれと同じだね。ただ選挙は当選気分で皆が浮かれていて簡単だけど、こっちはかなり口が上手くなくてはできないよ」
 夏原はどんな人なのか想像してみた。
「そういう人は何人かいるみたいなのね、画廊荒らしは。ほとんどが男で、オープニングだけじゃなくってもしょっちゅう来るらしいわよ。他のオーナー達と話したりすると、どこも似たり寄ったりらしいのよ。人相や身体つきで共通する数人の人たちが浮かび上がってきたんだって」
「どういう人たちなんだろう。まず、時間が自由じゃないとできないからリタイアした人なんかが想像できるよね。絵を鑑賞するのが目的じゃなさそうだから、孤独な境遇の人が気を紛らす手段ってことかい」
「それなら何となく分かりそうな気もするな」
 カラヤンは気の毒そうな顔をした。
「しかし、もしかしたらどこかの大金持ちや地位のある人かもしれないよ。責任感のある仕事から解放されて、ぽっかりと開いた空洞を埋めるためにやっているのかも。人間のこころは簡単に捉えきれないものがあるからね」
「マスター、当たり。友達が言ってたけど、その中の一人はどこかで見た覚えがあるんだけどなかなか思い出せなかったんだって。そんな時、発注した個展の案内状を届けに来た印刷会社の営業マンが、ある大会社の社史の印刷見本を持っていたのよ。何気なくそれを見ていたら、先代の会長の写真がそのじいさんだったってわけよ。どうもその元会長は、郊外の大豪邸から電車に乗って、毎日銀座に来ているらしいの」
「じゃ、マスターの店に毎日来ればいいじゃん。一日中時間を潰せるよ」
 いつの間にか、ヒゲ村が来ていたらしい。猫のいるテーブル席から声をかけてきた。
「また調子のいいこと言ってるよ。それにしても驚いただろうな、画廊の主は」
「最初はね。でもだからといって元会長は絵の一枚も買うわけではないので、他の画廊荒らしと何ら変わりはないから今までと同じ扱いにしてるって」
「そりゃそうさ。元会長でも」
 またヒゲ村だ。
「なんだか人生の複雑な一断面を見る思いだよ」
 カラヤンは遣る瀬ないといった表情をした。
「演奏よりも話に夢中でいつの間にか片面が終わっちゃったよ。『展覧会の絵』が『展覧会の客』になっちゃったね。それも招かざる客か。普段知らないところで様々な人生模様があるってことだよ」
 夏原の言葉を受けて、カウンターにやって来たヒゲ村が唐突に言った。
「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」


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