夏原悟朗の日々

当世時代遅れジャズ喫茶店主ものがたり /「写真+小説」形式によるジャズ小説 前田義昭作品

61. トロンボーンの詩

2009-10-25 | ジャズ小説

Img_4207Back on The Scene (Blue Note)・BENNIE GREEN


「風呂のなかでやった屁みたいで、あまり好きじゃないんだよ、トロンポーンは。あのモグモグと、くぐもった音が」
「ヒゲ村君、あまり下品な言い方しないでよね」
 スミちゃんがたしなめた。今しがたリクエストしたベニー・グリーンの『バック・オン・ザ・シーン』がかかって、聴き入ろうとした矢先だった。
「でも、そう思わない」
「これ以上言うと張り倒すわよ」
「でも、このグリーンのトロンボーンはいいと思うよ」
 スミちゃんの顔色を窺うと本当に怒り出しそうだったので、さすがにまずいと思ったのかヒゲ村はせいいっぱいフォローした。
 A面2曲目『メルバズ・ムード』。茫洋とした大海原を航海する船上で、心地よい揺れに身を委ねながら満身に爽やかな海風を受ける感覚。そんな趣きがこのトロンボーンには横溢していた。
「たしかにトロンボーンというのは、他のホーン楽器と違ってくっきりと際立った音を発しないよね。要はその特徴を如何にして使いこなすか、いつにその腕にかかっているわけだよ。それに、グリーンに触発されたのか、ここでのチャーリー・ラウズは切れ味鋭いテナーに変貌していると思うんだけど」
 夏原はさらに続けた。
「柔と剛の競演。この対比がこのアルバムを魅力的にしている気がするんだ」
「ラウズもいい味を出してると思うわ。フレージングにイキの良さがあって滑脱さを感じるもの」
「モンクとの共演も多いけど、これはその生簀から解放された魚だね。このラウズにはそんな気分が漲ってるよ。それにこのジャケ写真がいいよね。何ともいい雰囲気が出てるなあ」
 ヒゲ村らしくジャケット評も忘れなかった。
「一番人間味があるのよ。トロンボーンって音は」
「暖か味を感じるんだね。モダン以前のニューオリンズやディキシーランド・ジャズでは花形楽器だよ。そうだこんなの聴いてみる」
『バック・オン・ザ・シーン』が終わりかけてきたので、夏原はキッド・オリーの『ソング・オブ・ザ・ワンダラー』を出してきた。
「おっ、出たね」
 トロンボーンのケースを持ってローカル鉄道の線路を歩く、オリーのジャケット写真を見てヒゲ村が声を上げた。
「こういう楽旅をしている写真はジャズ・メンの一面をよくとらえていて哀感があるわ」
「楽器一本世間を渡るいい男。なかなかいい句だな」
 ヒゲ村が自画自賛した。
「一年を十日で暮らすいい男、なんてのは江戸時代の相撲取りを羨やんだ川柳だったね」
「マスター、ネタ元をばらさないでよ」
「そういえばカーティス・フラーの『ニュー・トロンボーン』も、人気のないローカルな駅のプラットホームで佇むフラーの写真が印象的だったわね。ジャズメンの孤独感が漂っていて、しかも詩があるのよね。ヒゲ村君の川柳の感覚とはちょっと違うんだけど」
「あれも楽器ケースを持って一人で列車を待っている様子の写真だったね」
「演奏している写真よりむしろ絵になるんじゃないか。今二人が意見を述べたように想像力がふくらんでくるんだね。ヒゲ村の感想もまた然りであり、スミちゃんの感想もまた然りだな。これもそうだし」
 かけ終えたばかりの『バック・オン・ザ・シーン』を仕舞いながら夏原が言った。そして『ソング・オブ・ザ・ワンダラー』をターン・テーブルにのせた。
 暫く皆が耳を傾けた後、スミちゃんが呟いた。
「モダンでもディキシーでも、誰が何と言ってもわたしはトロンボーンが好き。あったかーい」


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