The Tough Piano Torio (Jazzland)・KENNY DREW
安岡がひょっこりと顔を見せた。
「おや、久し振りだね」
自分が持ち込んだのでやはり気になるのか、時々ディックの顔を見に来てくれるのが夏原は嬉しかった。その態度を直ぐに表さないのが安岡らしい。
「名画座で『ペーパムーン』を観てきたんです。前から観たかったんですが、やはり面白かったですね」
「テータム・オニールの独壇場だね。あの映画は」
「大恐慌下で未知の人を騙して聖書を売りつけるケチな詐欺師の話だけど、ユーモアがあって明るく仕上げているところはいかにもアメリカ映画らしいですね」
「たしかにね。映画会社は原作と同じタイトルの『アディ・プレイ』を推したらしいね。でも監督が気にいらなくて『ペーパムーン』というタイトルにしたいため、遊園地の写真屋でペーパームーンの記念写真を撮るシーンを付け加えたらしいよ。やっぱりあのシーンが象徴的になっていて欠かせないよね」
「意外ですね。あのシーンがまずありきだと思ってました」
「そう言えばボクも昔変なバイトをやったなぁ。九州くんだりまで行って注文を受けた分厚い紳士録を配本するんだけど、それが間違いだらけだったり、予定の期日を大幅に遅れたりで相手はてっきり詐欺に遭ったと思ってるんだ。そんなところへ半金を貰うために、のこのこと本を届けに行くと、怒鳴られて追い返えされる事が度々あったんだ。ボクはあの映画を観た時、ふとその事を思い出したよ」
「マスターもそんな事をやってたんですか」
安岡は意外な顔をした。
「色んな事やったよ。あ、そうだ」
夏原はそう言うとレコード棚から一枚のレコードを引き抜いた。ケニー・ドリューの『ザ・タフ・ピアノ・トリオ』だ。
「これに映画の挿入歌で使われた『イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン』が入ってるんだよ。聴いてみる」
夏原はジャケットを安岡に見せた。
「リバーサイドから出した『ケニー・ドリュー・トリオ』の再発盤だよ。傍系のジャズランドから出ていて、タイトルとジャケットを変えてるけど、中味はまったく同じだよ。デザインはリバーサイド盤の方がいいのに、数が少ないこっちを欲しがるんだ。マニアの習性だね」
「ああ、子供が座っている写真の方は知ってますよ。あれで聴いたことはあるんですが、挿入歌が入っているとは知りませんでした。聴いてみたいです」
「たいがいA面しかかけないからね」
安岡からレコードを受け取って、夏原はB面をターンテーブルに置いた。
「1曲目が『イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン』によく似ていますね。『テイキング・ア・チャンス・オン・ラヴ』か」
「似てるよね」
夏原も否定しなかった。やがてお目当ての4曲目になった。
「映画のシーンでラジオから流れるもの悲しい歌が印象的ですが、こちらはフィリー・ジョー・ジョーンズの小気味いいドラミングが印象的ですね」
「ドリューのピアノは可もなし不可もなしってとこかな。これより2曲目の『星に願いを』のほうが出来としては良かったかな」
夏原は盤をジャケットに収めながら言った。安岡はディックが気になっているのか、テーブル席の方を見ていた。
「ディックのおやつを持って来ました。トミーにもあげてください」
バッグから缶詰を数個取り出して安岡が言った。
「ちょうど時間だからヤッサンからあげるといいよ」
夏原は食器皿を二つとスブーンをカウンターに置いた。安岡はそれを持って猫たちのところに行くと、食器の触れ合う音で判ったのか眠っていた二匹が起きていた。
「ディック元気か。トミーと仲良くしてるか」
安岡の背中から嬉々とした声が聞こえた。間もなく猫たちが発するペチャペチャという音が、とどまる事無く聞こえてきた。
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