夏原悟朗の日々

当世時代遅れジャズ喫茶店主ものがたり /「写真+小説」形式によるジャズ小説 前田義昭作品

51. サドの四月

2009-07-28 | ジャズ小説

Img_4074The Magnificent (Blue Note)・THAD JONES


「ジャズを感じるなぁ」
 手にした『ザ・マグニフィセント』のジャケットを見つめながら、ヒゲ村が言った。
 このアルバムに使われている写真は’50年代にタイムズ・スクエアで撮影されたものだ。この一枚はリーダーのサド・ジョーンズの肖像であると同時に、アメリカの最も良き時代が写し込まれていた。
「ミュージカル劇場の看板や娯楽性にあふれた広告のビル・ボードなんかを見ると、日本人には手の届かない羨望のアメリカがあるよね」
 夏原は自分の子供時代を思い浮かべながら言った。
「意外と気がつかないけど、サド・ジョーンズの後に女性がいてスカートが見えているんだよ」
 ヒゲ村が別の見方をした。
「屈んでいるから鳩に餌をやっているようだね。本当はいない方が写真としてはすっきりすると思うんだが。以前に正木が来た時にそんな話が出てたよ」
 夏原は店内に展示している正木の写真で、ジャケットと同じような位置から撮った’90年代のタイムズ・スクエアを見ながら言った。
「カメラマンがわざと入れたのか、女性がどいてくれなかったのかそれが問題だ」
 ヒゲ村は大袈裟な言い方をしてから、かけるのに手間取っている夏原を急かせた。
「ま、どっちでもいいけど早く回してよマスター」
 地中で蠢いていた春という名の生き物が地上に這い出し、翼をひろげて自由奔放に大空を飛翔する様子を描写した風景画が『パリの四月』だ。どこまでも伸びる高音トランペットが、透きとおった空気感を限りなく感じさせる。ビリー・ミッチェルのテナーも、サドの描写にまったく違和感のない色を添えて厚みを加える。
「パリの四月をスケッチした秀逸な演奏だね、これは」
 夏原はこの有名曲を数あるミュージシャンが演奏した中、これは三本指に入ると思っていた。
「3曲目の『イフ・アイ・ラヴ・アゲイン』の曲想もまとまりがあって印象的だよ。大体このジャケットで悪い訳はないよ」
 リード・マイルスファンのヒゲ村は、付け加える言葉も忘れなかった。同じ場所に立って同じポーズで写真を撮るのが夢だと十年前から言っているが、未だ実現しそうになかった。
「その写真で手づくりのパロディ・ジャケットを作ってみたいんだ」
「そういえば有名なジャズ評論家を使った写真で『クール・ストラッティン』の悪のりジャケットもあったなぁ」
 夏原は、ヒゲ村のアイデアに冷や水を浴びせる発言をした。
「自分で楽しむんだからいいじゃない」
「それよか、何時行くんだい。それが問題だろ」
 ヒゲ村は返答に窮したが、ひるまずに言った。
「鳩に餌をやる役の女性を誰にやってもらうかが問題なんだ」
「おいおい、今からそんな心配までしてるのか」
 半ば呆れた夏原だったが、ヒゲ村の事だから本気で考えているのかもしれない。
「今急に思ったけど、そういうツアーを企画すると面白いかもね。ジャズ・ファンにはオレみたいなノーテンキなヤツがけっこういるはずだよ。カメラマンを同行させて『ジャケット・シーンの旅』なんてタイトルでやれば受けるよ。ここ以外にもそういう場所色々あるじゃない。ジョージ・ウォリントンのワシントン・スクエアの凱旋門で撮ったジャケットとか。勿論レコード屋巡りも盛り込むんだ」
「アメリカのレコード屋巡りツアーは以前あったね。どのくらい集まったのか知らないけど」
 もはやヒゲ村には夏原の言葉など眼中になかった。
「マスター、これいけるよ絶対」

(文中にある’90年代のタイムズ・スクエアの写真は、No.23/2008.11.27の記事で見ることができます)  

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