Cool Struttin' (Blue Note)・SONNY CLARK
勢いよくドアを開け放って、ヒゲ村が弾けるように入って来た。
「なんだい今日は。いやに元気じゃないか」
席に座ってからも、絶えず上体を動かしたりして落ち着きのないヒゲ村を見て夏原が言った。
「まだ気が付かないの。これ」
ジャケットの下に着ている白いTシャツを指して、少しいらついた調子で言った。その部分には、スミで太いゴシックの数字が入っていた。
「1588」
夏原は書かれている数字を口に出して首を傾げた。
「一体何年ジャズ喫茶やってんのよ」
ヒゲ村が辛気くさそうに言った。
「1588といえば『クール・ストラッティン』かい」
「手に入れたんだ。やっと。このオリジナルを部屋に飾る長年の夢が実現したんだ」
ヒゲ村は興奮をかくせず、カウンターに置いたビニール袋から拝むような手つきで、一枚のレコードを取り出した。
「盤のキズはしようがないけど、ジャケットが奇麗なんだ。競馬の儲けが残ってたんで思い切って買ってしまったよ。昨晩、ジャケットと盤を入念に清掃しといたからピカピカでしょ」
はしゃぐヒゲ村を見て、夏原は苦笑しながらも慎重に盤を出してターン・テーブルに置いた。
「しかし、この寒いのにTシャツを見せるためにその格好で来たのかい」
「わざわざTシャツ屋で作らせたんだ。番号だけでいいって言ったら、店員が不思議な顔をしてたよ。しかし、どういう意味かとも聞かなかったね。分かるやつにだけ分かりゃいいんだ」
「と言う事は、うちの店とかレコード屋に出入りしている人くらいだね。もっともレコードに興味のない人には、どっちにしろ関係ないからね」
「ま、そういう事。おっ、いいねオリジナルは。いつも聴いてるのとまったく違う音だね。ノイズまで愛しくなっちゃうよ」
スピーカーから飛び出した第一音で、もう自分の世界に浸りきって有頂天だ。
傍で聴いている者は、どう聴いてもいつもの『クール・ストラッティン』に変わりはないが、当の本人にとってはまったく新しい演奏に聴こえるのだろう。その思いは夏原にも当然理解できるものであった。また、人間にはそんな感受性が必要で、それがなくなったら終わりだとも思った。
「この素晴らしいテーマが、さらに素晴らしく聴こえるよ」
ヒゲ村がひとり悦に入っている丁度その時、スミちゃんがやって来た。
「どうしたのよ。随分テンションが高いわね」
驚いた表情で言った。
「オリジナル熱に浮かされているんだ。ヒゲ村のものなんだ」
夏原がジャケットを指差して言った。そして、ヒゲ村の胸の数字を見てスミちゃんは大きくため息をついた。
「Tシャツまで作っちゃったの。『クール・ストラッティン』の原盤だけは絶対ゲットしたいと、いつも言ってたわね。念願が叶ったのね。おめでとう。でも、病膏肓にならないでね」
「スミちゃんの言う通りだよ。オリジナル病にかかって、快復に手間取った人を何人も見ているからね」
「そりゃ、大丈夫だよ。だってそれ以前に金欠病なんだから」
「そのふたつが微妙に絡むので気をつけないと。下手すると蟻地獄になっちゃうよ。おまけに競馬病もあるんだから」
夏原は厳しい表情で言った。
「大海原に出されて、行けども行けども寄港地が見つからないって状態になっちゃうかもよ」
スミちゃんも言った。
「分かってるって。1588だけで止めておくよ。でも、どうしてそんなに言うの」
「勿論、ヒゲ村君を思って言ってるのよ」
夏原も頷いた。その場の微妙な空気から察すると、もしかしたら二人もこの病気に罹った経験があるんじゃないかと、ヒゲ村はつい想像した。
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