夏原悟朗の日々

当世時代遅れジャズ喫茶店主ものがたり /「写真+小説」形式によるジャズ小説 前田義昭作品

9. 旧友現わる

2008-09-29 | ジャズ小説

Img_3624Two Feet In The Gutter (Epic)・DAVE BAILEY
 

 朝一番の幕開けレコードに、『トゥ・フィート・イン・ザ・ガター』がかかり、ドラムが心地よいリズムを刻んでいた。 
 珍しく朝早く来たスミちゃんがリクエストした。といっても11時半の開店だから昼の刻に近い。
「どういうわけかデイブ・ベイリーが聴きたくなったので、こんな時間に来ちゃった」
「来てもらえるならうちは何時だって有り難いよ」
「そんな言いぐさはないわよ、マスター。もうちょっと気の入った返事をしてよね」
 スミちゃんらしい辛辣な言葉が跳ね返って来た。
「デイブ・ベイリーを聴きたくなったってことは」
 頭のなかを巡らしながら夏原が言った。
「なかなか決まんないのよ、衣装が。堅物のクライアントだからセンスが悪くていやんなっちゃうわ。いらいらするのよ」
 そんなスミちゃんの気持をほぐすかのように、リラックスしたベイリーのドラミングが快調に響く。控えめながらも確固とした自己の理念に裏打ちされたドラムが、リード奏者を気持ちよく盛り立てる。それがベイリーの手法だ。
 スミちゃんの上体が軽く波を打っていた。気がつくと夏原も同様だった。
 ドアが開いた。あふれんばかりの光とともに見知らぬ客が入って来た。
 つかつかと、カウンターに座った。はじめての客でここにくるのは珍しい。
 背広姿の客はぐるりと店内を見回した後、夏原の顔をしみじみと眺めていた。
「もしかしてゴロンちゃんじゃない」
 なかなか注文をしない変な客だと思っていた夏原は、懐かしい昔の渾名を唐突に言われたので驚いた。
「小学校の中頃まで近所にいた同級の田原謙治だよ」
「ああ、あのケンちゃん。一番よく遊んだケンちゃんかい」
「そうだよ。親父の失敗で夜逃げ同然でいなくなってしまったけど、10年ほど前に東京に戻って来てたんだ。風の便りにゴロンちゃんがジャズ喫茶をやっていると聞いてはいたんだ。たまたま用事で芝浦に来てここを通ったらサマー・フィールドと書いてあったから、これはもしかしてと思って入ったら、やっぱりね」
「そりゃ、嬉しいね。ゴロンちゃんなんていわれたのは五十年振りだよ」
「当時は工事に使う大きな土管がいつも空地に置いてあって、その中でゴロンゴロンと転がって遊んだね。夏原君はそれが好きだったから、名前にひっかけた渾名になったんだ」
「そうだったね」
「ゴロンちゃんとは愉快ね」
 横で聞いていたスミちゃんが微笑んだ。
「よく見るとケンちゃんも面影があるよ。どうだい、折角だから閉店の11時にもう一度来ないかい。ゆっくり飲みながら積もる話をしようよ」
「ボクも仕事の途中だし、11時だね。じゃ、またその時にゆっくりとね」
Img_3627  ケンちゃんはコーヒーも飲まずにそそくさと出て行った。
「家庭の事情で色々あったんだろうけど、変わってないな」
 苦笑しながらも、思ってもいなかった人が訪ねてくれたので気分がよさそうだった。訪ねてくれた旧友の気持が、夏原には有り難かった。
『シャイニー・ストッキングス』が流れると、スミちゃんのリズムをとる動作が大きくなった。
 オレがオレがと、我を通す人間が多いジャズ界にあって、決してしゃしゃり出ずドラマーの本分をわきまえ、サポートに徹する稀有なジャズメンがデイブ・ベイリーだ。自己のリーダー作においてもしかりだ。
 遊び友達だったケンちゃんは、自己主張する性格ではなくおとなしかったが、芯は確固としたものをもっていた。まるでベイリーのように。
 今のケンちゃんも多分そんな人生をおくっているのだろうと、夏原は思ってみるのだった。

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