Basie & Zoot (Pablo)・COUNT BASIE / ZOOT SIMS
無断で、複製・転載等禁止 ◎写真+小説「ニューヨーク模様」と「前田義昭という名の写真人の独白」も、あわせてご覧ください。
ヒゲ村持参の『ベイシー・アンド・ズート』を夏原がかけると、カウンターに立てかけた両腕に顔をのせて日頃めったに見せたことがない、夢遊の境地にいるような表情で聴き入っていた。
それを察知して横にいるマジ村がからかった。
「ヒゲ村君、彼女でもできたのかい」
微妙に表情を変えたものの、それには応えずヒゲ村はその姿勢を崩さなかった。
「ヒゲ村いったいどうしたんだ」
夏原が活を入れると、やっと我にかえった様子になった。
「なんか言った。せっかく集中して聴いていたのに。あっマスター、コーヒーもう一杯」
夏原とマジ村は呆気にとられた風で言葉がなかった。
少し間を置いてから、もったいぶった言い方で突然喋り始めた。
「このレコードには赤い糸が絡んでいたんだ」
二人は再び首を傾げた。
「何赤い糸って」
「赤い糸知らないの」
「あの赤い糸」
「そうさ。結ばれる運命の男女の小指には見えない赤い糸が繋がっているというあれ」
「それがレコードとどう関連があるの」
おとなしいマジ村が珍しくいらついた。
「それはオークションから始まったのさ。最近はレコード屋に頻繁に行かなくなったのは知ってるよね。それでオークションに出品されているレコードを見たりして鬱憤を晴らしていたんだ。この前、この『ベイシー・アンド・ズート』が出品されていてね。前から欲しかったし安かったから入札してみたら、結局高値更新されずにそのまま幸運にもオレが落札したんだ。その後、出品者から連絡が入ったら驚き桃ノ木よ。どうも聞いたことがある名前だと思って、商品の連絡のついでにそのことも訊いてみたら、ぴったんこ小学時代の同窓生の女の子だったんだ。それもクラス一の美人の子でね」
「へぇー、それは偶然だね。女性自体がジャズ・レコードのコレクターっていうのも少ないし」
「そうなんだ。何回目かの返信で当時呼び合っていたように、中村君と書いてあったのも新鮮だったよ」
それでさっきヒゲ村君と呼びかけても、応じなかったんだなとマジ村は合点した。
「その同級生はジャズは好きなんだけど、もとは兄貴の影響らしいんだ。兄貴のコレクションが膨大になったので少しづつ整理するためにオークションにかけているんだけど、パソコンができない兄貴の代わりに彼女がやってるんだ」
「つまり、その同級生の女性は姓名が変わっていなかったってことだよね。つまり独身ってこと」
「夫婦別姓じゃないからね、この日本は。ふっふっふ」
マジ村の問いに、待ってましたとばかりに満面の笑みがヒゲ村からこぼれ出た。
「こりゃ大変だ。それだけニヤついているところをみると会う約束でもしたのかい」
普段みせない夏原の焦り様だ。ヒゲ村はさらにもったいぶってニタニタと笑っている。
「やったなこの野郎」
銀行員のマジ村が日頃つかわない言い方をした。
「高校の時に引っ越して、今静岡県で暮らしているんだ。丁度来月東京に出る用事があるので久し振りに会おうとトントン拍子にすすんだってわけさ。まったくこのレコードは赤い糸そのものだよ」
二番目の『イッツ・オンリー・ベーパー・ムーン』がかかると、ベイシーのピアノに合わせてメロデイを軽快に口ずさみ、首を小刻みに揺らせるヒゲ村だ。
「ペーパー・ムーンか。なんかそんな幼心が満ちあふれてくるなぁ、この曲は」
大事に胸に抱えてやって来た理由を披瀝して幸福感いっぱいだった。しかし、早とちりの多いのもヒゲ村だ。夏原は失望する結果にならないように祈るのみだった。