Michel Sardaby in New York(Debs)・MICHEL SARDABY
「いいわねぇ、ミッシェル・サダビー」
スミちゃんがうっとりとした表情をつくって、つい洩らした。
「この感性はサダビー以前にはなかったよね。独自のピアノ・スタイルは彼が創りだしたものだ」
「都会的なエッセンスが溢れているのね。それもパリという街のね。パリを醸し出すのよ」
「ニューヨーク録音であっても、この音にはパリがあるってことだ」
腕を組んだ夏原は、顎に指をあて眼を瞑って言った。
「摩天楼が林立する都会ではなくて、石畳にもれるジャズ・クラブの燈影からかすかに聴こえてくるピアノ。そんな景色よね」
「さすがパリ通のスミちゃん」
「マスターおちょくらないでよ」
言葉とは裏腹に、満更でもない表情でスミちゃんが言った。
「モンマルトルの裏通りを独りで歩いていたら、ふとそんな小さなお店に出くわしたわ。迷わず入ると名も知らぬビアノ・トリオが出演していて、その時聴いた一曲がとても印象に残っていたのよ」
『イン・ニューヨーク』が終わると、続けてスミちゃんがリクエストした。
「サダビーをもう一度。『ナイト・キャッブ』をお願い」
「どっち」
「B面よ」
夏原は言われた通りB面に針を置いた。1曲目の『マヤ』がかかり始めた。下を向いて暫く聴いていたスミちゃんが喋り始めた。
「この曲だったのよ。マスターのところでこのレコードがかかった時、パリの店で聴いた曲だとすぐに判ったわ。その時はマスターに話さなかったわね。ピアニストはサダビーじゃなかったけど、とてもいい演奏だった」
「女性の一人旅で異国とあれば、ぐっとこころに忍び入ってくるんだろうね」
「そういうシーンや深夜のしじまの中で独りで聴くと、ぴったりと寄り添ってくるのがサダビーのピアノね。ああ、またパリ・ロケがないかなぁ。海雲堂さんにけしかけなくちゃ」
スミちゃんは大きく伸びをして、急に現実的になった。夏原はスタイリストという仕事がどういうものかよく知らなかったが、スミちゃんがその仕事で度々海外に出かける事はよく聞いていた。数日間、来ない日があると大体察しがつくようになっていた。
「このところは海外ロケがないようだね」
「クライアントが年々渋くなって、ロケよりもスタジオ、海外ロケより国内ロケという具合ね」
「このご時世だからね。さて次は何をかけるかな。サダビーばかりだと食傷気味になるから、別のバリをかけてみるか」
そう言って夏原はフレディ・レッドの『アンダー・パリ・スカイズ』を取り出してきた。
「どんよりとした鉛色の空の彼方から聴こえてくるような音色だけど、これもパリらしいと言えばパリらしいね」
「エッフェル塔をバックにして、右も左も判らないお上りさん風のレッドが笑えるわ」
ジャケットを見ながらスミちゃんがお腹をゆすった。
「しかし、聴けば聴くほどじわじわと味わいが出てくる、スルメピアノだよ」
「一聴、暗さが前面に感じるけど、マスターの言うようにじわじわときそうね」
「ブルー・ノートに録音していた頃とはガラッと様子が違ってるね。パリ録音で『ブリーカー・ストリート・ブルース』って曲を演っているのも面白いね。ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジにある通りなのにね」
「どこかよく似た通りを見つけて思い出したのかしら」
「ジャズ・クラブが蝟集する場所を貫く、ブリーカー・ストリートを題材にした曲は時々あるからね。ジャズ・メンには馴染みが深いのだろう」
ニューヨーク滞在中、この通りで偶然目にしたトミー・フラナガンの後姿が夏原の脳裡に浮かんできた。出演するためジャズ・クラブに入って行く、あの時のフラナガンが最初で最後となった。
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