Jimmy Smith at The Organ Vol.1 (Blue Note)・JIMMY SMITH
「なんとかなんない、この暑さ」
ヒゲ村がやって来た。なけなしの金をレコードばかりにつぎ込んでいるヒゲ村のアパートには、未だにエアコンがなかった。
「マスター、ここは天国だよ」
「だから夏場は滞在時間がさらに長くなるって寸法だ」
「こりゃすっかりお見通しだ」
ヒゲ村は歌舞伎役者のセリフのように抑揚をつけた。
「間違っても満員になることはないから気のすむまでいてくれよ。言わずもがなだったかな」
夏原はそう言って笑った。
「マスター、『ジミー・スミス・アット・ジ・オルガン』のヴォル.1を聴きたいんだ」
「オルガン嫌いのヒゲ村がどうした事なんだ」
「決まってるじゃない。ルー・ドナルドソンの『サマータイム』が聴きたくなったんだよ。避暑にも行けず、侘しいアパートで冷房のないみじめなサマータイムをおくっているオレにふさわしいよ」
「そう卑下するなよ、ヒゲ村は若いんだから。いつか何かで成功して軽井沢で別荘を持てるようになるかもしれないぜ。ボクなんかそんな望みはゼロだ。一生しがないジャズ喫茶のオヤジで終わるしかないよ」
「マスターこそ卑下してるじゃないか」
ヒゲ村に一本とられて夏原は苦笑するしかなく、お望みのものを取り出してきた。このレコードはニューヨークのフリー・マーケットで手に入れたオリジナルだ。以前の持ち主のサインがあり、ジャケットの傷みもあるので安かった。盤もそれなりのキズはあるが致命傷ではない。
夏原はA面を上にターン・テーブルに載せた。針を置くとジリジリというノイズが途切れなくつづく。ジミー・スミスの抑えたオルガンがイントロを飾った後、振り絞るようなアルトが切々と響き渡った。
ドナルドソンは切なく叫びながらメロディ・ラインを紡いでいく。オルガンも哀愁感を漂わせる。演奏が終わりにさしかかる辺り、しゃくりあげるような嗚咽音にヒゲ村は万感の思いが込み上げてきたようだった。
「曲の唄心をもっともよく表していると思うんだ。この『サマータイム』が。じっさい楽器が唱っているよ」
涙ぐんだ声でヒゲ村は言った。
「こころに突き刺さってくる実にソウルフルな音色だね。『ブルース・ウォーク』に代表される軽快さが売り物のドナルドソンにしては、ちょっと異色の演奏じゃないかな」
夏原が言うと、
「この『サマータイム』は色んな意味で我がこころに突き刺さりすぎるよ。自分でリクエストしたものの」
ヒゲ村は笑いをつくった。
「ここら辺りでレコード買いを少しセーブして、ニューヨークで生のジャズを経験してみたらどうなんだい。ヤッサンに先を越されて、このまま指をくわえているのか」
「来年くらいには一度行ってみたいと思うようになったんだ。この前、半分冗談で言ったジャケット撮影ツアーの話は別として」
「中古屋漁りを少しの間封印すればすぐ行けるよ。チケットなんか安いし、どうせ贅沢な旅じゃないんだから」
「どうせってのは余計だけど。ほぼ日課になっている中古屋巡りを断つのはこりゃ大変だなぁ」
「まるで麻薬を断つみたいな言い方だな」
夏原は真顔のヒゲ村を見て笑った。
「これ以上レコードを買いすぎてアパートの床が抜けたらどうするんだい。それに中古屋への電車賃だって節約できるんだよ。今定期買ってんの」
「まさか定期なんて買ってませんよ」
そう言われてみれば、ヒゲ村はかつて定期券のほうが得か真剣に考えた事があった。しかし、定期にすれば確実に毎日通ってしまうと思って止めたのだった。
「よし来年はニューヨークでサマータイムだ」
むっくと立ち上がったヒゲ村が宣言した。
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