「マスター全快おめでとう」
「ありがとう。なんとか生還できたよ」
「勝手知ったるオレが代わりに店をやってあげようと思ったけどやっぱりね」
レコード棚から『クォータ』を取り出してきたヒゲ村が、それを夏原に手渡した。
「ガーランド好きのマスターへは、この日にぴったりのレコードじゃない」
「ぴったりって、長いブランクの後って意味かい」
「そういうこと」
「十年も沈黙していたガーランドに較べりゃ、こっちはたった一ヶ月だ。しかし、その一ヶ月でヒィーヒィーいってるんだから情けない。うかうか休んでられないよ」
「わぁっ、このコーヒーの香りよね。懐かしいわ」
ドアが開くや否やスミちゃんの声が飛び込んできた。
手に持ったキャリング・ケースからも鳴き声が洩れた。スミちゃんがケースのふたを開けてやると、トミーとディックが勢いよく飛び出してカウンターに飛び乗ると夏原に向かって鳴き続けた。
「嬉しいのよね、猫たちも」
「すまなかったね、スミちゃん。喧嘩して迷惑かけなかった」
「最初ちょっとの間うちの猫と睨み合いが続いたけど、けっこう仲良くしてたわよ。それよかマスター、以前よりすっきりして格好よくなったんじゃない」
「そりゃ、病院食を一ヶ月も続けりゃね。それより帰りに見つけた店で美味そうなワインを買ったんだ。今夜一緒に飲もうと思うんだけど」
「いいね」
ヒゲ村がすかさず叫んだ。
「病み上がりでどうかと思ったんだけど、実はわたしも持ってきたのよね」
スミちゃんがバッグの中から一本出してみせた。
「となると、オレももってこないとまずいな」
「いいよヒゲ村は。旅行行ってたんだろ」
「大阪ですがな。もう金おまへん」
イントネーションのおかしい大阪弁が、ヒゲ村の口をついて出たので皆が笑った。
「通天閣界隈が日本中で一番オモロい街ちゃいまっか。路上で病院の薬を売ってるのはここだけでっせ。万引きで有名なスーパー玉出なんかめっちゃ派手なネオンで目が眩みそうでんがな。表にカウンターがあって買ったものをそこでさっそく食ってまんがな、労務者のおっさん連中が。ビジネスホテルは2300円ぽっきりでっせ。ドヤに毛の生えたようなもんやけど。おかげで十日間も居続けや」
身振り手振りを織りまぜながら喋る、おどけた大阪弁がなかなか止まらない。
「この『酒とバラの日々』のブロックコードなんかガーランド健在って感じよね。マスターも以前のように頑張ってもらって、わたしたちの唯一のくつろぎ空間がなくならないようにしてもらわないと」
「ほんまや」
「そんなに思ってくれるなんて、いやぁ、本当に有り難いよ」
「涙がちょちょ切れまっか」
ヒゲ村のひと言が湿っぽくなりそうな場を和ませた。
「ブランクの後の酒は格別おいしいっていうからね。今晩が楽しみだ」
「禁酒をしなければならない病気だったら大変だったわね」
「紙一重で生き延びたね。ちょっとは運が残ってたわけだ。酒の肴にオモロい土産話をたっぷり聞かせてもらおうじゃないか。なぁ、ヒゲ村」
「しまくりや」
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