夏原悟朗の日々

当世時代遅れジャズ喫茶店主ものがたり /「写真+小説」形式によるジャズ小説 前田義昭作品

74. 議論の行方

2010-12-08 | ジャズ小説

Dsci0003K.B.Blues (Blue Note)・KENNY BURRELL


 夏原がケニー・バレルの『K.B.ブルース』をジャケット額に収めた。
「未発表シリーズのジャケット・デザインはどうみても見劣りするね」
「そりゃ、本家本元に較べたら可哀想だよ。日本人デザイナーだからっていうつもりはないけどね」
「デザインに反比例してレコードの値段が高いのが困るんだ」
「そりゃそうだよ、数が少ないから当然だ」
 ヒゲ村の問いかけに、海雲堂と正木が交互に応じた。
「世の中すべて希少なものほど価値が高いのは、古今東西において揺るがぬ真理だ」
 夏原も言う。
「オレなんか希少な人間だから、もうちょっと価値を認めてくれてもよさそうだと思ってるんだけど、人間には当てはまらないのかな」
「それはヒゲ村が勝手にそう思っているだけかもしれないよ。人間だって同じだよ。評価は他人様が決めることだ」
「哀れなフリーター様だ」
 ヒゲ村が溜め息をついた。
 A面1曲目の『ニカズ・ドリーム』かかった。
「若い頃はギターでのジャズ演奏が嫌いでね。ところが、今じゃ抵抗感なく聴けるようになったよ」
「時のなせる技ですね。昔好きじゃなかった俳優も年月が経つと好みが変わってファンになったりすることってありますよね」
 今度は正木の問いかけに、隣の海雲堂が顔を向けて応えた。
「かつて、広告に携わっていた若い頃は賞をとりたくて、制作する時もそれしか念頭になかったけど、今考えるとバカげてたと思うよ。ブレゼンテーションした案が通らないと、その度にクライアントをこき下ろしていたけど、本当に恥ずかしいよ。あまりにも広告賞を意識した考えに凝り固まっていたからね。現役の海雲堂君なんかどう」
「よくそのご意見は聞きますね。それもあるだろうけど、所詮賞をとれない人の嫉みと反撥する気持があるのも事実ですけど」
「ちょいちょい賞をとってる海雲堂君なんかは受け入れ難いかもしれないね。賞をとることによって、さらに格の高い賞を狙える仕事に近づけるわけだし、業界での認知度も上がるから賞とり合戦を止める理由はない。ぼくも当時はそう思ってたけど、冷静にみられるようになった今の結論は、広告に賞はいらないってことなんだ」
「そうかなぁ」
 海雲堂はいまいましそうな顔でコーヒーを一口すすった。
「広告はあくまでも商品の宣伝にすぎない。純粋な表現形態じゃないということだ。賞や面白おかしさを狙うあまり、肝心かなめのそこを踏みはずしている広告がいかに多いことか。時にはそんな広告が授賞したりして、首を傾げざるを得ないときだってある。広告制作者は本来無名性を旨とするのに、賞をとって有名になりたいと願望している。まさに自己矛盾に陥っているね。クライアントという馭者の言うことを聞かず、好き勝手な方向に走る馬車馬のようなもので、そうなったら最悪だ」
「おっしゃるように、自分はあくまでもそこを逸脱しない表現を心得ているつもりですが。しかし、賞は制作者に取って励みにもなるものですから、そこまで言い切る正木さんのご意見には賛同しかねますね」
「海雲堂さんがさっき時のなせる技と言ったけど、歳をとるとまた違った海雲堂さんがいるかもしれないし、それとも全く変わっていないかもしれないし」
 ヒゲ村が割って入った。
「たしかにあの頃の正木は賞とりに燃えていたからね。人間は年月を経てその現場から離れると、ものの本質がよくみえてくることがあるもんだよ。それはボクにもよく理解できるんだ。ほら、離婚した後であんな人と一緒にいたのが信じられないって話、よく聞くからね。だからって、海雲堂の志向を否定はしないよ」
 並んで座る二人を交互に見て、カウンターの向こうから夏原が言った。
「広告というものは、どうしても商品というフィルターを通すものだから、さっき言ったように純粋な表現行為ではない。そこが絵画や小説なんかの他の表現分野とは決定的に違うところだね」
「おっしゃる通りです。逆に言うと、そのへんの兼ね合いをはかりながら表現するところが広告の妙味でもあるのですよ」
 海雲堂が胸をはった。
「彼は昔の彼ならずか」
 感傷的なヒゲ村のひと言が議論に終止符をうった。すでにレコードは終わっていた。


無断で、複製・転載等禁止

Dsci0010