月岡芳年 月百姿
『おもひきや雲ゐの秋のそらならて
竹あむ窓の月を見んとは』 秀次
明治二十二年印刷
豊臣秀次(とよとみひでつぐ)は安土桃山時代の武将。母は秀吉の姉日秀
永禄十一年(1568年)~文禄四年(1595年)七月十五日
国立国会図書館デジタルコレクション 065
天正十三年(1585年)紀伊、四国平定の功により近江43万石を与えられ
天正十八年には小田原征伐、奥羽平定の功によって
尾張、伊勢を合せ100万石を領するにいたる。
天正十九年(1591年)秀吉の嫡男・鶴松が死去したのち
秀吉の養子となり関白に進むも
文禄二年(1593年)秀吉の次男秀頼の誕生後
秀吉に疎まれるようになり高野山へ追放、自害を命ぜられる。
『おもひきや雲ゐの秋のそらならて 竹あむ窓の月を見んとは』
※ こんなことを思っただろうか、宮中から眺める中秋の名月ではなくて
蔦が絡まる窓の満月を眺めることになろうとは まさかなあ。 ※
これが辞世の句と思いきや辞世の句は別にあるんですね。