オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

月百姿 おもひきや雲ゐの秋のそらならて・・・

2017-09-05 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『おもひきや雲ゐの秋のそらならて 

竹あむ窓の月を見んとは』 秀次

明治二十二年印刷

 

 

豊臣秀次(とよとみひでつぐ)は安土桃山時代の武将。母は秀吉の姉日秀

永禄十一年(1568年)~文禄四年(1595年)七月十五日

 

 

 国立国会図書館デジタルコレクション 065

 

 天正十三年(1585年)紀伊、四国平定の功により近江43万石を与えられ

天正十八年には小田原征伐、奥羽平定の功によって

尾張、伊勢を合せ100万石を領するにいたる。

天正十九年(1591年)秀吉の嫡男・鶴松が死去したのち

秀吉の養子となり関白に進むも

文禄二年(1593年)秀吉の次男秀頼の誕生後

秀吉に疎まれるようになり高野山へ追放、自害を命ぜられる。

 

『おもひきや雲ゐの秋のそらならて 竹あむ窓の月を見んとは』

※ こんなことを思っただろうか、宮中から眺める中秋の名月ではなくて

蔦が絡まる窓の満月を眺めることになろうとは まさかなあ。 ※

 

これが辞世の句と思いきや辞世の句は別にあるんですね。