オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

月百姿 朝野川晴雪月

2017-09-23 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

『朝野川晴雪月』 孝女ちか子

あさのがわせいせつのつき 

  明治十八年届

 

江戸時代後期、加賀国の豪商銭屋五兵衛の孫娘ちか子は

河北潟開拓事業の際発生した事件により

永牢となった祖父の赦免を願って朝野川に身を投げます。

南無三

 

国立国会図書館デジタルコレクション 080

 

江戸時代、銭屋五兵衛が河北潟開拓事業を行ったが

難工事の上に川の魚を食べた人々が死ぬという事件が発生

それが五兵衛が流した毒薬によるものであるという噂が流れたため

五兵衛は子らとともに投獄された。その際五兵衛の孫娘「ちか子」は

祖父の無罪赦免を願って浅野川に身を投げて入水自殺を遂げたが

その願いも空しく五兵衛は獄死した。

というのがこの絵のモチーフとなっているようです

 

さらに調べてみると次のようなことがあったようです。

嘉永五年(1852年)八月十三日河北潟でに魚が大量に浮いているのが発見された。

原因は工事の際に土砂を固めるため使用した石灰にあると結論付けられ

一族、関係者は入牢となり、十一月二十二日牢内で五兵衛が八十歳で卒した。

五兵衛の長男・喜太郎は病気がちであり、娘の千賀が五年間助命嘆願のため

自身の代牢を希望したため眞龍院にも伝わり、喜太郎は釈放され追放で済んだ

だが千賀は病(カリエスとも)で三年後(1860年?)26歳で卒した。

 

前田齊泰の藩政年譜より抜粋