オオカミになりたい(遺言)

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月百姿 鳶巣山暁月

2017-09-16 | 月百姿

月岡芳年 月百姿

鳶巣山暁月』 戸田半平重之

『とびがすやまのあかつき』 とだはんべいしげゆき

明治二十年届

 


 

  戸田半平は戦国~江戸時代前期の武士。

生没年不詳

徳川家康、秀忠につかえ、関ヶ原の戦い直前に行われた

信濃上田城の戦いで活躍したとされる上田七本槍のなかにも

戸田光正の名でみえる。


 国立国会図書館デジタルコレクション 025

 

長篠の戦い 天正三年五月二十一日(1575年)

三河国長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍と

武田勝頼の軍勢が戦った合戦では

徳川勢の松平又七郎家忠、天野惣次郎、戸田半平らも

鳶ケ巣山砦で勇戦した。中でも戸田半平の一番槍の働きぶりは

のちまでも語り草とされた。 ところが「三河物語」には

世間で戸田半平の槍が評判になっているのは

旗差物を指していたからである。

その時天野惣次郎のほうが先に進んでいたが旗差物を指さない

「ずんぼう武者」であったので目につかないだけで

じつは半平より惣次郎のほうが先であったとしている。

戸田半平は二番槍であったが、「銀のしゃりこうべ」の差物が

人目についたのである。 ところが一番槍の天野惣次郎は

夜討であるからといって差物を略していた。

また松平家忠も、戸田半平と同時に槍を合わせたが

これも差物が目立なかったので噂にならなかったといい

いかなる出陣にも差物を付けるように心得よと教えている。

(校合雑記) (常山紀談)

形原松平家について より転用