月岡芳年 月百姿
『鳶巣山暁月』 戸田半平重之
『とびがすやまのあかつき』 とだはんべいしげゆき
明治二十年届
戸田半平は戦国~江戸時代前期の武士。
生没年不詳
徳川家康、秀忠につかえ、関ヶ原の戦い直前に行われた
信濃上田城の戦いで活躍したとされる上田七本槍のなかにも
戸田光正の名でみえる。
国立国会図書館デジタルコレクション 025
長篠の戦い 天正三年五月二十一日(1575年)
三河国長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍と
武田勝頼の軍勢が戦った合戦では
徳川勢の松平又七郎家忠、天野惣次郎、戸田半平らも
鳶ケ巣山砦で勇戦した。中でも戸田半平の一番槍の働きぶりは
のちまでも語り草とされた。 ところが「三河物語」には
世間で戸田半平の槍が評判になっているのは
旗差物を指していたからである。
その時天野惣次郎のほうが先に進んでいたが旗差物を指さない
「ずんぼう武者」であったので目につかないだけで
じつは半平より惣次郎のほうが先であったとしている。
戸田半平は二番槍であったが、「銀のしゃりこうべ」の差物が
人目についたのである。 ところが一番槍の天野惣次郎は
夜討であるからといって差物を略していた。
また松平家忠も、戸田半平と同時に槍を合わせたが
これも差物が目立なかったので噂にならなかったといい
いかなる出陣にも差物を付けるように心得よと教えている。
(校合雑記) (常山紀談)
形原松平家について より転用