■負動産時代
お金を払ってでも土地を処分したい人たちがでてきた。1990年前後のバブル期、別荘にあこがれたサラリーマンたちが高値で別荘やリゾートマンションを購入した。あれから30年。人口減を背景に地価の下落は止まらず、タダでも買い手がつかない。この春、静岡・伊豆の別荘地を買値の130分の1で売った男性もその一人だ。
「資産」から「お荷物」へ 別荘地に見る土地神話の崩壊
【バブル あの頃は……当時の記事から】東京の宅地50%アップ 固定資産税評価額
契約は東京・帝国ホテルのラウンジだった。
まだバブルだった1991年初め。伊豆半島の丘陵地の一角に約300平方メートルの別荘地を購入した時のことを、大分県に住む男性(78)は鮮明に覚えている。当時は首都圏暮らしのサラリーマン。老後はゆったりした場所で過ごしたいと夫婦でドライブしながら物件を探し、1300万円の大枚をはたいた。
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10万円で売却した伊豆の別荘地の土地。バブル期は1300万円もした=今年7月撮影
男性は今年3月、その別荘地を更地のまま手放した。売値は10万円。手数料や広告費として仲介した不動産業者に21万円支払ったため、差し引き11万円のマイナスだ。それでも男性は「ほっとした」という。
ログイン前の続き購入後、人生設計が変わり、建物が建つことはなかったが、別荘地の管理費として年間4万6千円ほど、固定資産税約7千円を毎年支払ってきた。
娘2人のいずれかに相続させたいと持ちかけたが、どちらからも「いらない」と断られた。では手放そうと100万円で売り出したが、売れない。市役所に寄付を申し出てみたが、「そのような制度はない」と門前払いされた。
25万円、18万円と売値を下げていき、10万円でやっと買い手がついた。「これで負担がなくなった。あの世に持っていかずに済んでよかった」
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伊豆の別荘地を「実質マイナス」の価格で処分したケース
1970年代に開発が始まった別荘地一帯は、別荘として利用する人もいれば定住者もいるが、空き家や雑草が生い茂ったまま放置された区画も目立つ。
静岡県内で別荘地を専門に取り扱う不動産業者によると、10万円や20万円など格安の売買も珍しくなくなったという。
格安で買った人たちは、ガレージにしたり、ドッグランにしたり、畑にしたりしているという。格安だという理由で、目的はなくても土地を所有することで満足する人もいる。「今まで土地に縁のなかった人たちが、スマホでも買うような感覚で買っていく。もはや土地は財産ではない」と、この業者は話す。(大津智義)
◇
放棄したくてもできない土地、所有者が分からない土地、市場価値が落ちたのに税負担や管理コストが重くのしかかる土地など、いわば「負動産(ふどうさん)」の問題を、読者と情報交換しながら考えていきます。情報をasahi_forum@asahi.comメールするか、03・5541・8259(ファクス)か、〒104・8011(所在地不要)朝日新聞社オピニオン編集部「フォーラム面」にお寄せください。
◇
【バブル あの頃は……当時の記事から「足がふるえる? 1面数十億円のテニスコート」(1987年9月4日夕刊1面)】
1面の広さだけで30億円とも50億円ともいわれるテニスコートが6日、東京・品川で営業を始める。なぜ値段がはっきりしないかは、ここにきての地価狂乱のせいだ。
中堅不動産会社・興和不動産は3年半前、広さが後楽園球場のグラウンドの約4倍という品川駅貨物積み下ろし跡地を公示地価の3倍、実勢価額の2倍の3・3平方メートル約730万円、約1千億円で落札した。当時は同業他社も「採算は大丈夫か」と首をかしげたが、興和側は「商業ビルを中心にして第3副都心を造る」と強調していた。しかし、東京湾臨海部再開発計画や、隣接する新幹線基地(ここの2・5倍の広さ)の売却の行方などもからみ、着工にはなっていないという。
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1987年9月4日付朝日新聞夕刊1面 「足がふるえる? 一面数十億円」
「着工まで空き地として放置していては、社会的な意味からもったいない。簡易体育施設を」と臨時のテニスコート作りとなった。21面のうち7面は地元住民向けに優先的に、費用も半値で割り当てている。二つあるゲートボール場も、地元老人会は無料。
都心にあり、しかも駅前とあって人気上々。申し込み方法を聞く電話は鳴りっ放しとか。地元の不動産屋は「もし興和さんがいま手放すとすれば、3・3平方メートル3千万円でもねえ。でも、この辺ではここ数年大型の取引がなく、実際はやみの中だよ」。
このほかの都内の旧国鉄払い下げ用地も、ビル建設が決まらずに「暫定」「臨時」のついた駐車場などが目立っている。
お金を払ってでも土地を処分したい人たちがでてきた。1990年前後のバブル期、別荘にあこがれたサラリーマンたちが高値で別荘やリゾートマンションを購入した。あれから30年。人口減を背景に地価の下落は止まらず、タダでも買い手がつかない。この春、静岡・伊豆の別荘地を買値の130分の1で売った男性もその一人だ。
「資産」から「お荷物」へ 別荘地に見る土地神話の崩壊
【バブル あの頃は……当時の記事から】東京の宅地50%アップ 固定資産税評価額
契約は東京・帝国ホテルのラウンジだった。
まだバブルだった1991年初め。伊豆半島の丘陵地の一角に約300平方メートルの別荘地を購入した時のことを、大分県に住む男性(78)は鮮明に覚えている。当時は首都圏暮らしのサラリーマン。老後はゆったりした場所で過ごしたいと夫婦でドライブしながら物件を探し、1300万円の大枚をはたいた。
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10万円で売却した伊豆の別荘地の土地。バブル期は1300万円もした=今年7月撮影
男性は今年3月、その別荘地を更地のまま手放した。売値は10万円。手数料や広告費として仲介した不動産業者に21万円支払ったため、差し引き11万円のマイナスだ。それでも男性は「ほっとした」という。
ログイン前の続き購入後、人生設計が変わり、建物が建つことはなかったが、別荘地の管理費として年間4万6千円ほど、固定資産税約7千円を毎年支払ってきた。
娘2人のいずれかに相続させたいと持ちかけたが、どちらからも「いらない」と断られた。では手放そうと100万円で売り出したが、売れない。市役所に寄付を申し出てみたが、「そのような制度はない」と門前払いされた。
25万円、18万円と売値を下げていき、10万円でやっと買い手がついた。「これで負担がなくなった。あの世に持っていかずに済んでよかった」
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伊豆の別荘地を「実質マイナス」の価格で処分したケース
1970年代に開発が始まった別荘地一帯は、別荘として利用する人もいれば定住者もいるが、空き家や雑草が生い茂ったまま放置された区画も目立つ。
静岡県内で別荘地を専門に取り扱う不動産業者によると、10万円や20万円など格安の売買も珍しくなくなったという。
格安で買った人たちは、ガレージにしたり、ドッグランにしたり、畑にしたりしているという。格安だという理由で、目的はなくても土地を所有することで満足する人もいる。「今まで土地に縁のなかった人たちが、スマホでも買うような感覚で買っていく。もはや土地は財産ではない」と、この業者は話す。(大津智義)
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放棄したくてもできない土地、所有者が分からない土地、市場価値が落ちたのに税負担や管理コストが重くのしかかる土地など、いわば「負動産(ふどうさん)」の問題を、読者と情報交換しながら考えていきます。情報をasahi_forum@asahi.comメールするか、03・5541・8259(ファクス)か、〒104・8011(所在地不要)朝日新聞社オピニオン編集部「フォーラム面」にお寄せください。
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【バブル あの頃は……当時の記事から「足がふるえる? 1面数十億円のテニスコート」(1987年9月4日夕刊1面)】
1面の広さだけで30億円とも50億円ともいわれるテニスコートが6日、東京・品川で営業を始める。なぜ値段がはっきりしないかは、ここにきての地価狂乱のせいだ。
中堅不動産会社・興和不動産は3年半前、広さが後楽園球場のグラウンドの約4倍という品川駅貨物積み下ろし跡地を公示地価の3倍、実勢価額の2倍の3・3平方メートル約730万円、約1千億円で落札した。当時は同業他社も「採算は大丈夫か」と首をかしげたが、興和側は「商業ビルを中心にして第3副都心を造る」と強調していた。しかし、東京湾臨海部再開発計画や、隣接する新幹線基地(ここの2・5倍の広さ)の売却の行方などもからみ、着工にはなっていないという。
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1987年9月4日付朝日新聞夕刊1面 「足がふるえる? 一面数十億円」
「着工まで空き地として放置していては、社会的な意味からもったいない。簡易体育施設を」と臨時のテニスコート作りとなった。21面のうち7面は地元住民向けに優先的に、費用も半値で割り当てている。二つあるゲートボール場も、地元老人会は無料。
都心にあり、しかも駅前とあって人気上々。申し込み方法を聞く電話は鳴りっ放しとか。地元の不動産屋は「もし興和さんがいま手放すとすれば、3・3平方メートル3千万円でもねえ。でも、この辺ではここ数年大型の取引がなく、実際はやみの中だよ」。
このほかの都内の旧国鉄払い下げ用地も、ビル建設が決まらずに「暫定」「臨時」のついた駐車場などが目立っている。